経済・政治・国際

邪念で母の靱帯を切り、息子に手出しをすると脅す俳優、邪念ストーカーM!

今現在も、クサを使いながら、生活を荒らし回る邪念ストーカーM。

昨年から、執拗さを強め、母に無理な行動をとらせ、靱帯を切ったり、首の頸椎の骨がつぶれていると医師に言われた母。

私自身にも、連夜、スプーン曲げに使うような念力を脳にねぶりこみ、頭から首までが痛む。百科事典などの重い物を頭に載せ、上からぐっと押すような強い圧力。これを、73歳になった私の母にも平気で加える。

息子も、朝、頭が痛いと言っていた。その後、起き抜けに「ババア!デブ!」などと大きな声でわめくようになった。

Mの邪念は、自分の言いたいことを遠隔で他人に言わせることができます。

どうだ、ざまあみろ!息子や母親にこんなことをしてやるぞ。

また、私が9歳以降に起こった悪事をまたやってやる。

生活のバランスを崩してやる。嫌なことをさせてやる。執拗に狙ってきます。Mのクサの中にも、私が過去にMに花束を持っていったので「もう、いいんじゃないの。やめなよ。」と言う者がいたり、前回はMの奥さんも周辺の芸能人も9歳の時に別れ、29歳で花束を持っていった少女の美談は知っていますし、今ではそれが嘘ということも知っています。

それは、多くの人が知っています。Mのクサ以外に(奥さんだろうか)

「やめて。」と言った人がいますが、その後より一層執念深さを増しました。

昨年、Mの連夜頭を締め付けるストレスから、生理が止まり、(これは、ストレスというより邪念で生理が止まるようにし向けたのでしょう。)私の思念を読み、何が困ったか・・・

生理による貧血で、通勤電車を降りたこと・・・些細なことですが、夜脳を締め付けた後朝方、息子が学校に出かけるまでを、邪念を使いながら様子を伺っています。

息子にひどいことを言わせてやれ、手がつけられなくしてやれ、早く争って家の中がめちゃくちゃになれ・・・俺の家はめちゃくちゃだ。お前もそうなれ!

5月から6月にかけて、急に生理が止まらなくなり、強い貧血になりました。それを知らずに派遣の仕事に登録で仕事に出ていましたが、その後、生理がぱったりと止まりました。体がつらい、大変な状況で仕事をさせてやる。それでも、主人の休みの時など、単発で仕事に出られたので、良かったのですが、不況のため、急に派遣の仕事自体が問題視されるようになりました。昨年までは前日でも仕事があり都合が良かったのですが・・・

それじゃ、しょうがないんだよ・・!惨めでつらい思いをしなきゃ!Mが邪念を使うと、仕事がなくなりました。もっとも、仕事に出ていたときでも、わざと、膝が痛むのを知っていて、集中的にそこを狙う動きをとらせたり、貧血をしっていて、わざと階段を何度ものぼりおりさせたりしていました。気配をたつようにしても、脳がひくひく痛むのでMがどういう邪念を使っているか、また、Mとその母の性癖を知れば、どういうところを狙うのかがわかります。

それに、学校の行事予定や旅行、息子の習い事、仕事の予定など私自身よりMの方がよく知っていて、どうすれば、誰と誰を使って争わせようか・・・妬みあわせようか様子を伺っています。

考えてみれば、私の9歳以降に起きたことにオイル・ショックなどがありましたが、父が節電と言って家中の電機を消してまわったことを覚えています。他の皆にせこい思いをさせて、自分のみはよい思いをしてやれ・・・日本経済に対して邪念を使ったのではないでしょうか。ちょうど、Mの母親が喫茶店をもち、大型のクーラーなどをいれ体裁を整えたであろう時期。

Mの母は「あの頃と、今と違うよ!」などとつぶやきます。

日本経済に、一介のMのような超能力者が影響があるのか・・・せいぜい個人に思念を加えることぐらいでは・・・

ただし、私にタバコを吸えなくしてやれ、吸うことは悪だと思え!などとMのやり口はまず、私に喫煙習慣をつけさせ、じわじわと邪念でやめられなくなるまでつきまとい、それから今度は徐々に禁煙できる場所をなくし、禁煙は悪だと思え。悪い奴。という意識づけをしていきます。それから、よしもっと・・・ということで現在のようにレストランでも、まるで、過去における、アメリカの黒人差別、あるいはナチのユダヤ人差別のように、喫煙者だけの別の囲いができてしまったのです。

無論、自分が十代の時はタバコを吸う叔父にどうして吸うんだろう。タバコは吸わない方がいいのに。などとは思っていましたが。

あれは2004年の夏休みだったろうか・・・息子をN県のプールに入れていると、Mのクサの会話が脳裏に響いてきました。私が携帯灰皿で、タバコを吸っているので、店舗を禁煙にしてもしょうがないじゃないの・・・ということ。Mは何か考えていたようでしたが、その後、(私が東京に行くのは友人に会うため銀座だけだったのですが)銀座全域で禁煙になりました。また、今では住んでいるS市でも駅近郊は路上喫煙禁止になりました。

92年にも、イタリアの空港を禁煙にしてやったと言っていましたが、それがどんな風におこなわれたのか・・・空港の責任者とMは知り合いでもなく・・・遠隔で人の脳に圧力を加え不祥事を起こさせたり・・・責任者が喫煙に対する悪感情を強めるような事象を起こしたり。

禁煙はMの起こしている一部に過ぎませんが、ようするに落ち着ける場所を壊してやれということ。どんどん追い詰めて苦しめて息抜きできる場所もなくしてやれということ。禁煙は将来的にみると良いことかも知れませんが、Mのやることには他人への侮蔑や脅し、苦しめること目的です。一方で、また、禁煙ができないようにつきまといます。

今の不況も、物価が上がったら主婦は困るねなどと話していたら、Mはその会話の様子を伺い「よし・・・!」などと企むようでした。困ることをしてやれ、それはいつものことなので・・・

その後、しばらくして物価が上がり始めました。おそらくMは禁煙ブームだけでなく経済全体にも手くだしを始めたのでしょう。自分が思い通りにならなければ、気が済むまで老人にも子供にも平気で酷いことをしてきます。

92年にうっかりMの主演している花束に急に思い立って、花束を持って行ってしまった。

その時はMに邪念があること、Mの母親の陰湿なたくらみに気がつきませんでしたが、美談という話題で、また、旨みをすすろうとするMの母親が邪念を使いそうさせたのでした。確かに邪念の存在とその性質がわからなければ、まさかそんな人間達がいることや、自分の言動が左右されているとは夢にも思わなかったでしょう。

MとMの母親はこの世にあってはならない存在です。けれど、今現在MとMの母親は人の命を奪ったり、羨ましいと思う人間を争わせたり、離婚させたり・・・それらは巧妙に、

ふと、気がつけば従兄弟が会社をリストラされ、暫くして癌が発覚、一昨年葬式でしたが、42歳で、親戚の中では一番おとこまえで、しっかりしていた従兄弟です。もし、私が相談するとすれば彼だったでしょうけれど、相談できるような男は気がつけば病に伏している。離婚問題がもちあがっていて、相談できる状況になかったり・・・私が子供の頃は、父方の親戚は離婚問題など一つもなく皆平和でしたが・・・時勢のせいではないでしょう。

私に対しても、命を奪っておけばよかった。いや従兄弟も、友人のママさんも、私の父も癌だから、癌はまずいよ。Mがつきまとってやるだろうよ・・・Mの母は私に思念を読まれるので様子を伺っていますが、Mを自分の手先のように動かし、執念深く要所要所で邪念を加えてきます。

続けて、9歳の時にMと出会ったこと・・・なかなか進みませんが、書いてみようと思います。

精神科医に相談しようとしても、Mの邪念を知る政治家やある種の権力者が金を出して隠蔽するようにさせる。Mは宗教の中央部で働いていると言っていたから(広告塔では無く、極秘事項)・・・Mの邪念力なら遠隔で病気にしたり、また回復させたり奇跡と思えることはできるでしょう。警察にも協力したと言っていたので、ある種の権力者はしっていながら庇うのでしょう。日本の屋台骨を腐らせる悪霊とは知らずに。また、Mは自分にまずいことがもちあがれば、その者に遠隔で脳に圧力を加え隠蔽させるのです。

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邪念で母の靱帯を切り、息子に手出しをすると脅す俳優、邪念ストーカーM!

今現在も、クサを使いながら、生活を荒らし回る邪念ストーカーM。

昨年から、執拗さを強め、母に無理な行動をとらせ、靱帯を切ったり、首の頸椎の骨がつぶれていると医師に言われた母。

私自身にも、連夜、スプーン曲げに使うような念力を脳にねぶりこみ、頭から首までが痛む。百科事典などの重い物を頭に載せ、上からぐっと押すような強い圧力。これを、73歳になった私の母にも平気で加える。

息子も、朝、頭が痛いと言っていた。その後、起き抜けに「ババア!デブ!」などと大きな声でわめくようになった。

Mの邪念は、自分の言いたいことを遠隔で他人に言わせることができます。

どうだ、ざまあみろ!息子や母親にこんなことをしてやるぞ。

また、私が9歳以降に起こった悪事をまたやってやる。

生活のバランスを崩してやる。嫌なことをさせてやる。執拗に狙ってきます。Mのクサの中にも、私が過去にMに花束を持っていったので「もう、いいんじゃないの。やめなよ。」と言う者がいたり、前回はMの奥さんも周辺の芸能人も9歳の時に別れ、29歳で花束を持っていった少女の美談は知っていますし、今ではそれが嘘ということも知っています。

それは、多くの人が知っています。Mのクサ以外に(奥さんだろうか)

「やめて。」と言った人がいますが、その後より一層執念深さを増しました。

昨年、Mの連夜頭を締め付けるストレスから、生理が止まり、(これは、ストレスというより邪念で生理が止まるようにし向けたのでしょう。)私の思念を読み、何が困ったか・・・

生理による貧血で、通勤電車を降りたこと・・・些細なことですが、夜脳を締め付けた後朝方、息子が学校に出かけるまでを、邪念を使いながら様子を伺っています。

息子にひどいことを言わせてやれ、手がつけられなくしてやれ、早く争って家の中がめちゃくちゃになれ・・・俺の家はめちゃくちゃだ。お前もそうなれ!

5月から6月にかけて、急に生理が止まらなくなり、強い貧血になりました。それを知らずに派遣の仕事に登録で仕事に出ていましたが、その後、生理がぱったりと止まりました。体がつらい、大変な状況で仕事をさせてやる。それでも、主人の休みの時など、単発で仕事に出られたので、良かったのですが、不況のため、急に派遣の仕事自体が問題視されるようになりました。昨年までは前日でも仕事があり都合が良かったのですが・・・

それじゃ、しょうがないんだよ・・!惨めでつらい思いをしなきゃ!Mが邪念を使うと、仕事がなくなりました。もっとも、仕事に出ていたときでも、わざと、膝が痛むのを知っていて、集中的にそこを狙う動きをとらせたり、貧血をしっていて、わざと階段を何度ものぼりおりさせたりしていました。気配をたつようにしても、脳がひくひく痛むのでMがどういう邪念を使っているか、また、Mとその母の性癖を知れば、どういうところを狙うのかがわかります。

それに、学校の行事予定や旅行、息子の習い事、仕事の予定など私自身よりMの方がよく知っていて、どうすれば、誰と誰を使って争わせようか・・・妬みあわせようか様子を伺っています。

考えてみれば、私の9歳以降に起きたことにオイル・ショックなどがありましたが、父が節電と言って家中の電機を消してまわったことを覚えています。他の皆にせこい思いをさせて、自分のみはよい思いをしてやれ・・・日本経済に対して邪念を使ったのではないでしょうか。ちょうど、Mの母親が喫茶店をもち、大型のクーラーなどをいれ体裁を整えたであろう時期。

Mの母は「あの頃と、今と違うよ!」などとつぶやきます。

日本経済に、一介のMのような超能力者が影響があるのか・・・せいぜい個人に思念を加えることぐらいでは・・・

ただし、私にタバコを吸えなくしてやれ、吸うことは悪だと思え!などとMのやり口はまず、私に喫煙習慣をつけさせ、じわじわと邪念でやめられなくなるまでつきまとい、それから今度は徐々に禁煙できる場所をなくし、禁煙は悪だと思え。悪い奴。という意識づけをしていきます。それから、よしもっと・・・ということで現在のようにレストランでも、まるで、過去における、アメリカの黒人差別、あるいはナチのユダヤ人差別のように、喫煙者だけの別の囲いができてしまったのです。

無論、自分が十代の時はタバコを吸う叔父にどうして吸うんだろう。タバコは吸わない方がいいのに。などとは思っていましたが。

あれは2004年の夏休みだったろうか・・・息子をN県のプールに入れていると、Mのクサの会話が脳裏に響いてきました。私が携帯灰皿で、タバコを吸っているので、店舗を禁煙にしてもしょうがないじゃないの・・・ということ。Mは何か考えていたようでしたが、その後、(私が東京に行くのは友人に会うため銀座だけだったのですが)銀座全域で禁煙になりました。また、今では住んでいるS市でも駅近郊は路上喫煙禁止になりました。

92年にも、イタリアの空港を禁煙にしてやったと言っていましたが、それがどんな風におこなわれたのか・・・空港の責任者とMは知り合いでもなく・・・遠隔で人の脳に圧力を加え不祥事を起こさせたり・・・責任者が喫煙に対する悪感情を強めるような事象を起こしたり。

禁煙はMの起こしている一部に過ぎませんが、ようするに落ち着ける場所を壊してやれということ。どんどん追い詰めて苦しめて息抜きできる場所もなくしてやれということ。禁煙は将来的にみると良いことかも知れませんが、Mのやることには他人への侮蔑や脅し、苦しめること目的です。一方で、また、禁煙ができないようにつきまといます。

今の不況も、物価が上がったら主婦は困るねなどと話していたら、Mはその会話の様子を伺い「よし・・・!」などと企むようでした。困ることをしてやれ、それはいつものことなので・・・

その後、しばらくして物価が上がり始めました。おそらくMは禁煙ブームだけでなく経済全体にも手くだしを始めたのでしょう。自分が思い通りにならなければ、気が済むまで老人にも子供にも平気で酷いことをしてきます。

92年にうっかりMの主演している花束に急に思い立って、花束を持って行ってしまった。

その時はMに邪念があること、Mの母親の陰湿なたくらみに気がつきませんでしたが、美談という話題で、また、旨みをすすろうとするMの母親が邪念を使いそうさせたのでした。確かに邪念の存在とその性質がわからなければ、まさかそんな人間達がいることや、自分の言動が左右されているとは夢にも思わなかったでしょう。

MとMの母親はこの世にあってはならない存在です。けれど、今現在MとMの母親は人の命を奪ったり、羨ましいと思う人間を争わせたり、離婚させたり・・・それらは巧妙に、

ふと、気がつけば従兄弟が会社をリストラされ、暫くして癌が発覚、一昨年葬式でしたが、42歳で、親戚の中では一番おとこまえで、しっかりしていた従兄弟です。もし、私が相談するとすれば彼だったでしょうけれど、相談できるような男は気がつけば病に伏している。離婚問題がもちあがっていて、相談できる状況になかったり・・・私が子供の頃は、父方の親戚は離婚問題など一つもなく皆平和でしたが・・・時勢のせいではないでしょう。

私に対しても、命を奪っておけばよかった。いや従兄弟も、友人のママさんも、私の父も癌だから、癌はまずいよ。Mがつきまとってやるだろうよ・・・Mの母は私に思念を読まれるので様子を伺っていますが、Mを自分の手先のように動かし、執念深く要所要所で邪念を加えてきます。

続けて、9歳の時にMと出会ったこと・・・なかなか進みませんが、書いてみようと思います。

精神科医に相談しようとしても、Mの邪念を知る政治家やある種の権力者が金を出して隠蔽するようにさせる。Mは宗教の中央部で働いていると言っていたから(広告塔では無く、極秘事項)・・・Mの邪念力なら遠隔で病気にしたり、また回復させたり奇跡と思えることはできるでしょう。警察にも協力したと言っていたので、ある種の権力者はしっていながら庇うのでしょう。日本の屋台骨を腐らせる悪霊とは知らずに。また、Mは自分にまずいことがもちあがれば、その者に遠隔で脳に圧力を加え隠蔽させるのです。

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邪念ストーカー、もとアイドルM!!!いよいよ連日執念深く、つきまとう!!!

連日、深夜に念の力でぎりぎりと脳をしめつけ、日中の遠隔邪念も執念深く、更にしつこい嫌がらせを続けています。

先週の日曜日、息子を連れてスキー場に行きました。実家から息子がスキーの大会に出たいというので、ポールの練習をして何とか完走しました。本来なら、爽やかな雪山の景色。無論、Mの邪念によるつきまといがなければ、どんなに良いでしょう。私も本来は、趣味は旅行また、グラフィックデザインを仕事にしていたので、さまざまな展覧会や美術展、映画などにもフレキシブルに出かけ、参加するたちです。私も、美しい雪山の風景を写真におさめたりしますが・・・

Mのやっていることは、その母ともども、幸福な人間につきまとい、何気ない日常生活や人間関係のなかから、悪意を発展させ、苦渋に陥らせ、争わせること。ただ、命を奪っただけじゃものたりないよ・・・ということ。何かをきっかけに、どうにもうまくいかないことが続き、精神が落ち込み、みじめになる・・・なぜ、連続してうまく物事が運ばないのだろう。こんなに気をつけているのに。Mの邪念ストーカーという存在に気がつかなければ、物事、そんな時期もあるさ・・・頑張っていこう。努力が足りないのかも知れない。などと、できるだけポジティブな方向にもっていくのが普通です。けれど、現在は連続して、生活の、あるいは人間関係の、べつべつのシーンで連続的にうまくいかない。数年前は、そんなに連続して悪いことがあっただろうか。いや、それほどはなかった。

今は、Mという邪念(それが、どういうものか。Mといつ知合ってしまったか。邪念の性質がどんなものか、私は理解しました。)それは、順を追って思い出す課程で、吐いてしまったほど気持ちの悪い、おぞましいものでした。おそらく、この文章を読まれた方は、私の気が変なのか、やはり気持ちが悪くなるでしょう。実際、インドなどを旅行して、カルチャーの違うものに、何ら動じなかった私ですら、当初は自分の記憶に吐き気をこらえながらMとの出会いの一部始終を思い出しました。

また、小学生の息子を狙ってのいやがらせもひどくなり、年明けには、お寺さんで厄除けの護摩を焚いていただきました。Mの邪念は、思念を読んだり、人の思考にぴったりまとわりつき行動や、脳を遠隔で締め付け、思い通りの言葉を突発的にしゃべらせたりする強い念です。超能力者というより、その邪念は悪霊というべきなのかもしれません。なぜ、Mにそんな力があるのか。一つにはMの母親が人に向ける、恨みや怒りの強さが元凶なのかもしれない。生まれたばかりの赤ん坊でも、僅かの哀れみさえなく復讐の対象にして苦しめたあげく、利用し尽くすような、そこまで残忍な人間は希です。はじめから精神が歪んでいる。

スキーの帰りの電車の中でも、息子は自分から何気なく(有名なスキー選手のサインをもらってうれしそうだったのに)「12歳まで生きないかも知れない。」とつぶやくのです。間髪を入れずに、隣の席に喪服を着て葬式の花束を持った女性が座るのです。そんなことは始終です。「死ね!ざまみろ。」の繰り返しの邪念。されたくないことをしてやるぞ!楽しみなことはがっかりするような結果にしてやるぞと、今では一日中、思念を読んでクサたちと交代で嫌がらせを仕掛けます。「死ね死ね!!」とたたきつけるような思念を送った後は、スーパーに買い物に行けばレシートに「420円」あるいは{1427円」バカなことのようですがずっと以前に、アパート住まいの時から電話を盗聴して「42という数字は縁起が悪い。黒猫が前を横切った後は縁起が悪い。」などの、友人同士で冗談のように話していたのを知っていたのでしょう。その前ぐらいから受話器をおくと、別の場所でカシャ、という音がするようになっていたのです。翌日から、あらっ。と思うように黒猫が前を横切ったり、盆暮れにしか実家に帰らなかったのに、席に座ると4号車4番C席だったり・・・その時は特に気にもせず、私も今のようにMの思念がこちらがわにも読み取れるということはなかったのですが・・・もっと不思議な事はMの母の思念まで伝わってくることです。

もとアイドルのMが9歳の時に会った少女にひどいことをいわれ、先に帰ってしまったが忘れられずに会いに来て欲しかったが、知らないと言われ、復讐をしていること。事情を知っていた人たちは「男女逆だ・・」アイドルの方が女性に復讐されるならわかるが・・・と首をかしげていたこと。今では、それはMの母の、幸福な女性に対する恨みだとわかりました。

Mの母が、「くやしいよ!いい思いしちまうよ!」「殺しはいやだよ。」「生ぬるいよ!」とわめけばMが深夜、ぎりぎりと脳を締め付けに猛然と向かってくるのです。翌日は朝から百科事典で殴られたように頭がずきずきします。3,4日続いたかと思うと一週間ぐらい間をあけ、また、始めるのです。私に対する邪念をしばらく休止していたときにはMは私ではなく、私の郷里の両親や親戚、または、羨ましいと憎く思った人間に向けているのです。

また、これは恐ろしいことに、92年以前にも郷里の私の家にも行き、自分を思い出すよう家の中にヒントを入れたと言っていましたが(その時には、私は盆暮れぐらいしか帰省はしませんでしたが)Mは、私の母や妹もレイプしている。まず、眠っている私に話しかけ私の情報をしいれたこと。Mにとっては他人の住まいに浸入しても全く変に思われないよう意識操作ができることと、外からの邪念で人払いも、戸口を開けさせておくのも簡単なこと。住人を眠らせたままにしておくのも簡単なこと。

私自身も、当時つきあっている人の家で、うとうとしたときに、TVで話しかける声にゆっくり返事をしていて、おかしかったなどと言われたこと。また、母は頭が痛いと横になり眠ったときに体を硬直させくの字の姿勢をとってから股間を押さえて断続的にぴくっぴくっと動かし始めたのです。妹が帰省したとき床でうたた寝をしたときにも同様の動きが見られました。

Mの母親の目的がMを使って、狙った女性を陵辱することが、淫売婦であった女にとってひとつの目的だったのでしょう。また、ただレイプするのではなく輪姦させ、果ては狙った女が自分のように精神の堕落した女になること。「これで、私と同じになったよ。」とはよく思念でMの母がつぶやく言葉です。愛し合うセックスではなく自分のように男のはけ口として暴力を加えられること。

また、MのデビューしたJ事務所でも、性関係と引き替えに売り出されるなどの悪癖は皆Mの母が(そういう風潮は芸能界に以前からあったとしても)ことに性的陵辱を受けさせることを好んだからでしょう。

9歳の時Mに私が何をされたかと言えば、昼ご飯の時お刺身をあげたお返しに、「ちょっと。」と呼ばれトイレの中で小便するのを見せられスカートをまくりあげられて、ペニスをへその下あたりにこすられたこと・・・その時どうして身動きが取れなかったか今ではMが邪念で行動の自由を奪っていたことがわかりますが・・・それを思い出して欲しいと・・・謝るのかと思えば、その行為がMにとって私に、自分のためにいろいろさせてもかまわない証のように思っていたようです。私にとっては男の子のいとこもいっぱいいてペニスなどは珍しくも何ともないものでしたが(思い出したとしてもただの、汚らしいいたずら・・?ぐらいでしたが)Mにとっては肉体関係を結んで自分のために尽くしてもらうと、一方的に思いこんでいたようです。何をするにもまず、肉体関係を結んでおく。これは、芸能人だからではなく、淫売婦の母親の考えなのでしょう。また、汚れのない人間を陵辱させ、影から愉悦をふくらませ眺めていたのでしょう。

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2009年!もっと、つきまとってやるぞ!いよいよ執念深く、家族に手出しをはじめたM!!!

年も明け、息子の新学期は始まりました。この数日間、またしても集中的に脳をぎりぎりと締め付け、最近では日中も邪念で脳を締め付けてくるようになりました。また、私が苦渋を感じさせるために、小学5年の息子の脳まで明け方締め付け、私に対して乱暴な口をきいたり、成績をおとしたり、習い事の暴害をはじめました。どうすれば、私がいやがるか、困るかを日中も私の思念を読みながら、矢継ぎ早に実行してきます。

Mの手口は、周囲の人間関係などを、少しづつ悪化させ、妬みや争いにもっていくことですが、私はもうMという人間がどんなにたちの悪い人間であるか、およそ何をたくらみどういうことをしてくるかを知っています。だから、Mが家庭の中でも、自分がアメリカ人の奥さんに閉め出されている腹いせで、私の隣人や、従兄弟達をMと同様の家庭内別居状態に次々とおいやり、離婚させていく中で・・・無論、私の家の中でも、私の脳を深夜ぎりぎりと締め上げ、ストレスでパンパンの状態に追いやり、内臓と頭がずきずきと痛む状態で、主人にガリガリと金属音をたてさせたり、必要な物を主人の手で、私が使う寸前で、よそにやられたり、些細なことでも、どうすればヒステリーを起こし、離婚になるまでの争いになるか、その道筋を邪念でつけて、しばらくして様子を伺いに来たことがあります。

「なぜだ、なぜ、まだ離婚してないんだ。」私はもうMの手口は充分知っています。また、私が子供の頃、実家の前の教会の、女の先生と、左隣の美和子ちゃんのお母さんが境界線のことなどで、大声で争っていたことがありますが、それと同様に、私の住まいでも、祖境界線などの些細なことで争いになりそうな相手をご近所の中から物色して、少しずつ互いに、つまらないことでも、気になり、相手に悪意をもつようなシュチエーションを、邪念で悪く運ぶように様子を伺いながら、スーパーで、あるいは玄関を開けたらすぐその人に行き会うように、念で行動を操りながら、私の方で、あまりその人に出会いたくないな、と思い始めたら、すかさず、我が家の窓からすぐ見える菜園が、その苦手意識を持った人が借り、毎日、玄関を開けたら姿をみて、私がストレスをためるよう、はっきりとその人がいやだなという、気持ちになったところで、様子を伺い、すかさず念で、悪意やストレスでヒステリー状態になるまで、ぎりぎりと締め上げます。

それらが、私の子供時代にあった、叔母達の嫁、姑の争いで自殺未遂に発展したり、ぎりぎりのところまで追い詰め、自ら命を絶ちたいと思うくらい苦渋を味あわせるのが、目的なのです。

Mの母にしても、「殺しはいやだよ。」「どの女もいい思いして羨ましいよ。」また、私が日常邪念にも負けずに、旅行や子供達と出かける手配をして、楽しんでいるのを見ると、同じ場所にMとMの母親がいるわけではないでしょうけれど、ほとんど口をそろえるかのように「それじゃ意味ないんだよ!」と思念が同時に伝わってきます。すぐに、命を奪うことが目的ではなく、いかに苦しませるかに重点をおいているようです。

一昨年は連日脳を締め付けても、3日間連続でその後は一週間ほど間があきましたが、昨年の後半から、一度に締め付ける期間が、Mのクサたちと昼夜交代で、5日間以上になりました。はじめて、思い切り念の力で締め上げられたのが3年ほど前、それは、脳と頭蓋骨に親指をめりめりと差し挟まれ、脳を剥離させられるかのごとくで、朝目が覚めると、脳が百科事典で思い切り殴られたかのようにくらくらします。また、無論寝不足ですが、夕方まで、3日間ほど徹夜したかの状態が続きふらふらしますが、特に、野球を息子がやっていたとき、お茶当番に私が当たっている日の前日などを狙って、実行してきます。より、大変な物にしてやれという目的です。なんとか、日常業務をこなしていると、息子が、いきなり「母さん、とって。」とボールを急に投げてきたり、この時は脳の痛みでふくれあがっている状態で、あやうく脳の血管が切れて、そのまま脳卒中で倒れるのではないかと危惧したことも何度もあります。むろん、それを知っていてMが息子の言動を操り、わざとそうしてくるのですが・・・

MとMの母親の手段として、邪念で操る目的は、信頼し合う者たち、母子、夫婦、恋人、友人など、が互いが相手を苦しめる要因になること、愛するわが子を、母親が苦しめたり、また子が母を苦しめたり、信頼し合うべき者たちが、相手を苦しめる。それを見て、M母子が、何とも言えない愉悦に浸るというものです。また、羨ましいと思うターゲットが、周囲に何て悪いやつだと思われるまで、言動を邪念で操り、追い詰め、恥ずかしい思いをさせたり、暴露させたり。それを見て、また愉悦に浸るわけで、それがこの母子の性癖なのす。

また、多くの男女が性的な辱めに会い、徐々に心を荒らし、そんなことは何でもないことなのだという意識を蔓延させ、レイプなどにも無感覚になる。他人の自我を踏みしだくことを何とも思わなくなる。あるいは、一人暮らしの私のアパートに、それも、無人のアパートではなく大家さん家族の一戸建ての壁に隣接して女性だけに貸すという、1階、2階一部屋づつの部屋で、大家の奥さんは油絵が趣味のしっかりした方でしたが、いつのまにか、私に、いやがらせをするために、2階に住んでいた銀行員の女性を、説き伏せ、出入りしていたM。

Mの友人の芸能人達ばかりでなく、当時の、私の会社の上司達や、アパートの周辺の多くの人たちが知っていたけれど、私にだけは教えないようにしていたと言いますが、今では邪念で、広範囲に、そのことを何でもないことと思わせるように誘導していたのでしょう。今思い返しても、ぞっとします。確かに、私の部屋で電話に出ようとすると、上の階で、どすどすという足音が響き、女性にしては変だ、それに私が受話器をとるたびに、上で動いている気配がする。電話音も変な音になってきた。今は、私の電話を、当たり前のように盗聴していたのです。

友人との電話で、「今の企画室は、仕事もやりやすいよ。きちんと時間を取って任せてくれるし、サ○リ○などキャラクターで有名なところは、売れている人とそうでない人と、机が違ったり、表面的な待遇差別があるもの。」という話をすれば、暫くして、私の会社の企画室でも、デザイナーとアシスタントデザイナーで机を換えよう。などとの提案がされ、私は販売促進部なので、いくら仕事をしても、待遇はアシスタントデザイナーという区分けになってしまったり、しかも、同期の同僚の机が、隣で、次々新しくなっていく中で、仕事が認められ、華やかに海外出張に出かける中、私だけはそのまま。本当は私も海外に仕事で行くことに憧れがあり、(実際は気苦労が多いだろうけれど)友人にも、今度は海外に行けるかも・・・などと話したこともあったが、とうとう、気がついたら、企画室20数名の中で、机がそのままなのは、同期では私だけ、海外出張に行けないのも企画室の中では私だけ。そして、私の所属していた販売促進部はなくなり、私も商品担当で、その中でも末端の仕事から始めるようになった。しかも机の心棒ががたがたと取れてきて、どうしたものかと悩んでいたことがあった。アシスタントデザイナーの扱いで机を、(別にデザイナー待遇の人と同じでなくてもかまわないから、取り替えてはもらえないだろうか。言ったら恥ずかしいことなのか・・・などと心に沈殿するような悩みが募り、しかも、その時期に、パッケージの柄が他社のペーパーと同じ柄を外注が描いて、商品化されてしまうミスなどが連発し、しかもアパートにもどれば保険証など大切なものが見あたらない。風呂の灯りをつければ、一週間ぐらいで電球がきれる。ひどいときには翌日きれたり、その時は、まさかMの邪念ストーカーなどという存在を知らず、自分が落ち着かないせいだと思っていた。また、些細なことで、トイレに入ると、私が使おうとする時に限りペーパーが無くなっていることが多くなった。仕事のミス。ペーパーをいちいちかえる時間。机のがたつき。アパートでのこと。これらの積み重ねでストレスが極度に高まっていること。

その時は、Mは会社の上司達に、事情を話し私が9歳の時にひどいことを言った悪い女であり、Mが会いに来てもらいたがっているのに知らないと言ったこと。会社の人間を邪念で納得させ、Mのいやがらせを手伝わせたりしていたようだ。アパートでも嫌がらせをして、私の会社の上司達とも、かなりのことをしているのに、私が参った様子もないのであきれていたなどと話した。まさか、Mと仕事場の上司がそんなことになっているなどと、夢にも思わなかった私は、アパートの中で、どんな不審なことがあっても、遅刻もせず(人に迷惑をかけるのがいやだった。たとえ、現在の仕事の状況が悪くても)会社には通勤していた。けれど、このことで、会社の人が悪いとはみじんも思わない。Mの性癖や、邪念の性質を知らなければ、誰でもだまされてしまう。Mは特に女は簡単に、操れる。少し邪念を加えてやれば、すぐに感情的になり、争いに発展すると言う。

実際にMのファンクラブで無償でMのために動いている、普通の女達は、そうするようにMに邪念をかけられ、そうしないと、不安な葛藤が生じるように動かされている。邪念の効き目が薄くなれば、また、かけなおすらしい。

むろん、その会社に勤める以前もアパートに侵入しては、いろいろしていたようだが、外人女性と結婚し、もともと他人に対する責任などとったこともなく、邪念で大変だと思うことの一切を他人にさせていたMが、自分で責任を負わなければならない立場になり、今度こそ、逃れることのできない義務でストレスを感じ、そのはけ口として、単独で嫌がらせをすることに飽きたらず、私が困ったり、惨めな気持ちに陥ったりするのを、大勢で眺め、愉悦に浸ったりしていたようだ。会社も、私が辞めてしまってはしょうがない。居づらい思いを、惨めな気持ちを、じりじりと、追い詰めながら、萎縮させ長くその状態にとどめて苦しませなければというのが目的だ。はるかに残忍な嗜好といえるだろう。

だから、今現在、すぐには命は奪ってはこないだろうが、おそらく脳を締め付ける圧力を増し、私の言動が信じられないように、気が狂う一歩まえまで、もっていくつもりだろう。

気が狂うかと思うほどの圧力で脳を締め付けられたのが、4年ほど前になるだろうか。Mとの9歳の時の出会いに何が会ったかの詳細を思い出し始めた時だ。その時のぞっとした気持ち。それを読み取りMが力任せに邪念で、畜生!と締め付けたのだ。

翌朝、ふらふらの状態で、普通に朝食の用意をする私を見て、Mともう一人の男が「信じられない!これで、気が狂った奴を一人見ているが何で平気なんだ!」その思念を私が読み取り、(やはり、人にそれと知られなければ、どんな悪いことでもする奴ら。)という確信を深めた。

昨年の11月末頃は、連日の邪念も少しおさまっていたが、おさまっていたわけではなく、Mの邪念はもとMの所属していたJ事務所のトップスターに向かって、私にしているのと同様の邪念でつきまとい、(おそらく急に羨ましいという感情にかられたのか、私が息子の習い事が、ほとんどうまく運ばない状況を見たり、息子が私に対して、乱暴な言動をとるのをみて、こちらはひとまずこれでよしと思ったのだろう。)その、トップスターが身勝手で、周囲が怒っているとの悪評が週刊誌に掲載されるまでを、ひとくくりとし、それが済んだのでまた、冬休み中、つきまといを始めた。Mも、Mの母も「生ぬるいよ!もっとしてやれ!」

「ずっとつきまとってやるからな!もっと子供に手出ししてやる!」もういやがることなら、何でもしてやる。それは、私が、こうして真実を書き始めたから、怒りを煽ったのではない。逆に、このままではMが何をしてくるかわからない!だから、今までの私が知りうる限りを綴り始めたのだ。

晴美伯母さんも、旦那の会社が倒産して気が触れたようになり、「盗聴されている・・・」などとあらぬことをつぶやいていたと言うが、一昨年、母の実家のあるS市の科学館で、晴美叔母の同級生が、偶然にもそこの館長になっていた。母とも知り合いである。実家にも時々、来たことがあるらしい。その館長も校長を退職後、そこに赴任したらしかったが、晴美叔母のことを話していた。まさか・・・気が触れて、外見が別人のようになってしまったなんて言えない。けれど、ごく普通の叔母の人柄・・・とても優秀で頭が良かったという。母のことも、館長は「N校の生徒会長をされた、○子さんでしょう。」と良く覚えていた。叔母は男子ばかりの、もっと優秀な高校にいったそうだが・・・その苦労人の叔母が、そう簡単に気が狂ってしまうだろうか・・・ということ。晴美叔母のマンションが盗聴されていたのは本当だろう。無論、それはMではない。おそらくMの母親が、複数を使い、叔母を酷い目にあわせてやろうとしていたのだろう。そして、頭の良かった叔母は途中で、何者かの悪意が自分たちをターゲットに動いている事がわかったのではないだろうか。だから、気が触れたようになり、ろれつがまわらず、誰もその言動を信じないようにする必要があったのだろう。けれど、誰が、何のために?それは、私も、誰かが私のアパートに侵入しているが、金銭的なものは盗られていないが、保険証などがない。引き出しのファンデーションがこなごな・・・ネックレスのチェーンが結び目だらけ?なぜ?変だ・・・・私自身も、それから、電話の様子がおかしい・・・どうも上の階の人が、銀行員の女性なのに、平日、4時前に灯りがついている。ときどき、複数の男達のどやどやした気配・・・銀行員の女性の毎朝、定刻にステップを降りていく音が聞こえなくなった。

今、ここに書いている内容は真実ですが、多くの人には信じられないもの・・・けれど、Mのことを知っていて、隠蔽している多くの人、あるいはMの邪念をおそれて、「知らぬ存ぜぬでとおせ。」という上司。Mの思念の他に、他の人の思念も伝わってきます。けれど、なんとしても、隠蔽しないで欲しい。隠蔽されたために、お前は精神病だと脅されながら、まるで地面のない奈落にでもいるかのような状態で生きてきました。それは、恐ろしいほどの孤独と、生きる屍のような虚脱感。なぜ、Mがそうしたのか。

それは、花束を持って行ったことで、夜、私が寝入った頃、Mはいつものように、浸入してきましたが、その時だけは、事情を知る、私の会社の上司達と一緒でした。

おそらくは、ときどき、眠っている私に話しかけて、何が好きか聞いていたこともあったのでしょう。何となく覚えています。「・・・家の、杏の木が好き。花が綺麗で大きな実がなる・・・」通りで、次に帰省したときには、杏の木は無くなっていました。父が切ったというのです。

92年の5月。なぜ、急に私が花束を持って行ったのか・・・実は自分は、思い出して欲しくて、君の会社の上司に訳を話して、復讐していたんだ・・・ということでした。その時はMは喜んでいましたが、私が、9歳の頃を覚えていない、他に好きな男の子がいたなどという話で、また、嫌がらせが、以前より遠慮無く始まってしまったのでした。

おそらく、事情を知っている、上司や芸能人の友人には、私が動揺するといけないのでなどと・・・私が、本当のことを知りたくて苦しんでいるのを知っていてあえて、苦しませるためにそうしたのです。

Mが私に知らないと言われて苦しんだ。その思いを、何倍にもして私に味あわせるために。私は、一刻もはやく、本当のことが知りたくて、Mにその後も花束を持って行ってしまった。5月のMの話は恐ろしいものでした。Mが9歳の時に、私がかってに帰ってしまったので苦しんだこと。おそらくMを芸能人にするために、芸能人になれば、その子が会いに来るなどと、洗脳していったのでしょう。それから、Mに思い通りになる不思議な力があること。私の考えていることを読んだ・・・?!確かに起きているときに考えれば、信じられないことだけです。そんなことはあり得ないと・・・そんな人がいるわけない。では脳に響く声は精神病?けれど・・・21歳の時、現れたM。26歳の時、新宿で私を見たときの、驚いたような表情、急に人混みをかき分けて、全速力で走っていってしまった。など・・など・・・が釈然としないまま、精神科で飲まないと廃人になるとおどされ、ドーパミンを抑える薬をもらい続けたこと。けれど、飲むとただ、だるくなるだけだった。

その時は、薬を飲む、と言うことが逆にお前は、精神病だ、という脅しになっているとは気がつきませんでした。薬を飲むことで、本当に病気になった気になってしまう。けれど、それから、ずっと、考えていました。確かに変だ・・・けれど、思い通りになる力をアイドルのMがもっているなんて聞いたこともない。第一、そんな人、いるわけが・・・それから、ものすごい表情で、走っていくM。アパートでのこと・・・そんなことが、ぐるぐる廻りながら、けれど、深く考えようとすると、勝手にアパートに侵入して、家主も、会社の人も知っていて、見ぬふりをしていた、Mが私だけには知られないように仕組んでいた。・・・・ぞっとする恐ろしさ。けれど、やはり、事情がのみこめなかったのです。

けれど、5年前から、9歳の時に何があったのかを思い出したのです。今では、かなり些細な面まではっきりと思い出しました。そして、ようやく私に何が目的で何がなされたのか了解したのです。

私個人の苦しみはともかく、子供にまで何をするかわからない、野放しにされているMとMの母、その念の力も知る人は多くいます。無論、Mの奥さんも。もう、これ以上、知らないふりは、やめてください!来させないでください。Mは奥さんに閉め出される、自分の居場所がないといって、他人の子供にまで手出しをしてくるのです。私の命はかまわないけれど、Mの邪念による冒涜と卑劣さ!何としても、やめさせてください!人間として、当たり前のことをして欲しいのです。Mとともに悪霊にならないでください。どうか、やめさせてください。Mの卑劣な行動を・・・今の自分には、こうして公表していくしか手段がないので。これも、おそらくはMによって隠蔽されるかもしれないでしょうけれど。

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邪念ストーカーM!その出会いと現在。

邪念ストーカーM。現在も私や家族への執拗な嫌がらせが続いています。私自身も、超能力が実在すること、Mの不思議な力。それから、どんな人間が、その超能力を他人に(あるいは、もっと大きな範囲で)使っているか、考えを進めていくと身震いし、また、やりきれないほどの、怒りと吐き気を感じます。もし、これを読んでくださっている方がいれば、とても信じられない内容でしょう。けれど、現実に何があったのか書き出してみることにします。

1972年 9月 新潟の民宿で、家族旅行のとき、隣室にMとMの母が宿をとる。

 Mから、自分は芸能人になる勉強をしている。また、何でも思い通りになる、                 不思議な力をもっていること、私の妹に使うのを見た。本当に、やりたいことと、逆行動を取るのを見たが、その時は、半信半疑。そのほか、ぞっとするような、とても不愉快なことがいくつか・・・・子供でお金持ちになりたいというMの母に不安をおぼえた両親。翌朝、Mたちが眠っている早朝、宿をたつ。Mの記憶はうすれていく。

      10月 私が自宅の階段から転落。入院する。

 そのころから、周辺で争いが起こり始め、特に母方の実家を中心に叔母達が、ある者は、姑との諍いが熾烈になり、実家で服毒自殺を試み、叔父の処置で一命をとりとめる。長男の叔父は、農家と鯉の甘露煮の店を成功させ、村の名士になる。しかし、その叔父も、自分の妻と母の争いで、外部に女性をつくってしまった。また、大阪で裕福な家に嫁いだ叔母も、姑との争いから、邸宅の一室にこもり、そこで、生活を始める。また、母の弟で、表彰されたという腕のいい整備士だった叔父が、急に競馬をはじめ身をもちくずし、母から借金をかさねる。(ある日、地方の旅館から、母に自殺するかもしれないので、迎えにきてくれと電話がはいる。)母がこのころから、内職に励むようになった。(このころの事情は、私には聞かされず、知ったのは、つい最近。)私の家の前家でで、同じ学校のW子ちゃんの家で、深夜、争う声が聞こえ、W子ちゃんの父親が、外部に女性をつくり、家を出てしまった。家の前で彼女の母親と右側の教会の若い女の先生の怒鳴り合う声が聞こえた。(境界線のことでトラブルがあったらしい。私も日曜は前の教会の日曜学校にかよっていたが、病院やボランティア活動など、優しい先生だが・・・) 

1973年 私は、小学校5年生になる。妹がほとんど視力がないことがわかり、母が衝撃をうける。6月には、母の実家の祖母が脳梗塞のため、急死。(私を可愛がってくれた祖母だった。)

私の視力も、階段の頂上から落ちたせいか、左の視力が極端に悪くなり、コンタクトをつくる。妹の目の手術で東京へ行くなど、母が奔走。医師から、妹は盲学校へ行った方が良いと、医師から言われ、母は相当に悩んだようだ。また、私の友達関係にも争いが起こり、爪をかむ癖が出始め、歯並びががたがたになってしまった。また、筆跡が乱れていき、担任教師から、母に注意があり、クラスメイトの母から、書道を習うことになる。そのころから、常に頭が重く、情緒不安定になり、どもりの癖がでてしまった。書道の帰り、スーパーに寄り、なぜか、万引きをしてしまう。この時のことは、あまり覚えていないが、商品をみていて、うっかり鞄に入れてしまったことが、きっかけになり、何度も繰り返すようになった。補導員にみつかり、やめる。最悪の気分だったが、学校は休まず。仲良しの友達から、詰問される。記憶に残るのは、補導員に見つかったとき、なぜか、そのコーナーにはもう一人、太った男の子がいて、他に誰もいず、それは隣のクラスの男の子だったが、Mに似たタイプの子だった。席替えがあり、私の隣の席には、クラスで一番乱暴な男の子の隣になる。(私生児ということらしかったが)給食に果物がでたら、そっちの方が大きいから、とりかえろ!とすぐ手をのばしたり、机の下から、足をけってきたり、私も言葉がどんどん悪くなり、その子と私で、クラスで一番忘れ物が多くなってしまった。また、その子のけんか相手でやんちゃな男の子が、Mとは別に、後に高校時代、スターのオーディション番組から、アイドルデビューしたりということもあった。

このころは、母の実家や叔母、叔父のことは、何も聞かされておらず、祖母がなくなったので、寂しかったせい・・・と後日、気持ちの整理をつけた。妹の視力のことも、私は特に気にはしていなかった。手術のため、一緒に東京に行ったが、(万引きの件は、どうしても自己嫌悪で、気が重くなったが)母がはとバスツアーに申し込んでくれたことと、ファッション誌から、私の好きなデザインのワンピースを手作りしてもらったのと、目新しさで、母の抱えている深刻な状況には全く気がつかなかった。父方には、何も起こらなかったと思う。それから、気になったことは、ある日、学校の帰り道、家の付近で雨が降ってきたとき、母が私を手招きした。「早く、中に入りなさい。」その時に、私と一緒に走り出す男女がいて、なぜか、私と一緒に私の家まで来た。若い夫婦といった感じの人たちだが、自分たちに呼びかけたと思ったのだろう。母も驚いたが、とりあえず家の中に入れて、世間話をしていた。この辺の人じゃない。土地でも見にきたのか・・・ただ、女性の方が、家のリビングを見回して、「普通の家よね・・・」とつぶやいたのが記憶に残った。もしかして、私の家を見に来た?まさか・・・知らない人たち。

1974年 可愛がっていた犬が、毒物で急死。

私は小学校6年になっていたが、家を新築して間もなく、私がずっと飼いたいと言っていた言葉を聞き入れてくれて、父が、柴犬の子犬を連れてきた。家の廃材で父が綺麗な犬小屋をつくってくれて、毎日散歩をしていたが、どういうわけか、72年以降、私が好きな従兄弟達や、綺麗なものに近寄ると、急に気持ちがひけるようになった。気持ちがどんどん暗くなっていった。犬に近寄っても、以前のような喜びがわき上がらなくなってしまった。気持ちがすさんで、犬に近寄らなくなってしまった。学校から、帰るとタロウはうれしそうに吠えたが、心は麻痺したように動かなくなった。また、父がカメラを向けると、わざといやな顔をしてみせたり、無表情になっていった。ある夜、犬を放した、翌日。(田園が多いので、首輪をしていれば放しても良かった)タロウの様子が変になっていった。急速に弱っていく。どうしたことだろうか。学校から、帰るとタロウのそばについていた。父も会社からかえり、ずっとそばについている。けれど、そのまま、動かなくなってしまった。死因は、多分、毒物。父もそう思っていたようだ。私も、その時は気持ちが動転していたが、何か、害虫用の毒物を食べてしまったのか・・・翌日、硬直したタロウの体を、車に乗せ、父と二人で河原に埋めた。父は、私を責めなかった。私は、どうしようもない、或部分自分の一部が死んでしまったように、沈黙のまま・・・ああ、私はだめだ・・・あんなに、自分で面倒をみると言っていったのに、死なせてしまった。その悔恨から、楽しかった思い出まで、今日まで思い出すことがなかった。犬を飼ったことがある人ならわかるかも知れないが、可愛がってくれた祖母の死より、自分の責任で死なせてしまった、犬のことを思い出すと、涙があふれてくる。

小学時代は、ある日をさかいに、じわじわと悪い方向に向かってしまったが、実際はそんな中でも、日曜学校の活動は楽しかったし、イギリス人の老婦人も自宅に招いてくれて、子供達で母の日のカーネーション作りや、母の実家での、賑やかな餅つき、(兄弟従兄弟が多かったので、)田植えや稲刈り、イナゴ取りの賑わい。また、低学年時、仲の良いともだちと、走り回ったり、宿題をしたり。暗くなるようなこともあったけれど、読書量はクラスで一番多かったと思います。また、絵画教室でも友達との遊びなど思い出は多くあります。あの、72年の9月以外は、海には従兄弟達とテントで寝泊まりして、叔父が取れたての魚を調理してくれたり、スイカ割りや、父の友人とその子供達と、早朝から遅くまで、海水浴など、とても楽しい思い出も多いのです。また、父の姉がアメリカの海軍の艦長と国際結婚をしており、クリスマスに送られてくるアメリカのチョコレートなど、めずらしい思いをしたことも・・・芸能人は、兄弟5人グループが超人気でクラスでブームが起こりました。同世代の小学生がいるのです。私も、このレコードだけは購入しました。いとことスキー場で、はじから歌ってみたり・・・

1975年~大阪で叔父がスタイリストの会社をたちあげる。撮影にモデルがきた服が私宛に、送られてくるようになる。

中学にあがり、今までとは違う友人関係の中で、バレーボール部に入部。小学校の時は母のママさんバレーを応援したりと、(母は高校時代、バレー部のキャプテンだったので)私も、バレーボールは好きでした。邪念ストーカーなど、陰湿なものにさえつきまとわれなければ、私は、いたって健全なのでしょう。背筋力は、男子を含めて、クラスで三番目にあり、ジャンプ力は女子の中で一番。腕相撲も、教生できた、女の先生には、負けてしまったけれど、強いほう。リレーにも出たことがあります。足は、まあまあ早いほう。一年でも、試合には時々、出してもらえました。けれど、あるとき、着地が悪く、尾てい骨にひびが入り、断念。美術部に入りました。このときの、整骨院の治療で肛門に指をつっこまれたのは、けっこうショックでしたが。美術部の教師は一○会のN県の名士で、NHKTVにも、リンゴ畑ばかりを描く画家として、紹介されました。私が中二の時に文化祭に出した、15号の風景画を○美術館で、一○会の美術展のときに、一緒に展示してくださったり、後に、その油彩画はずっと、中学校の保健室に飾ってあったそうです。とはいえ、中学は至近距離、バレー部の前を通らなければ通えないので、しばらくは、早朝練習をしている、先輩や同級生を横目でながめながら、登校するのはつらかった時期もありました。小学時代のクラスメイトで、後にアイドルデビューしたT君のお姉さん(面倒見の良い、気さくな人でしたが)がそんな私を、ときどき、気の毒そうに見ているのを知っていました。また、中学時代は百人一首大会が校内であり、母の実家では兄弟皆で、やっていたそうで、我が家も家族で、正月はやる習慣になり、私は、三年間を通して、一番だったのです。

このころ、大阪で、母の妹、晴美叔母のご主人がスタイリストの会社をたちあげていて、モデルの着た、サンプルの服を私宛に、ダンボールで送ってくれるようになりました。晴美叔母も邸宅の一室にこもるように暮らしていた状態から、マンション住まいに変え、問題もなくみえましたが、後に、とても悲惨な状況になってしまうのです。・・・叔父は二度スタイリストの会社を立ち上げ、自ら社長になりましたが、倒産。叔母の大阪芸大時代のピアノまで、差し押さえの状態になり、気が触れたようになったようです。求婚者が多かったという叔母。とても優秀で、農家から、学校のピアノを借り、練習し、大阪芸大に入りました。母は女子校の生徒会長で、やはり優秀だったそうですが、弟妹達のために、銀行勤めをして、この叔母にも仕送りをしていたそううです。

後に、この叔母を見かけたときは、別人のようにぶくぶくと太り、ろれつの廻らない話し方歯並びも、がたがたになっており、とても、あの、スリムでこまたの切れ上がった話し方をする、センスの良い叔母と同一人物には見えませんでした。

また、家庭訪問時、担任が私の家に着て、私に妹の名を尋ね、私が答えると、「なに?ま○○ちゃん?」と言い。後で、妹と、どうして○○ちゃんなんて言うんだろうねと、笑いのタネになりましたが、それは、Mの名の訓読みだったのです。むろん、この頃は、Mのことなど、とうに忘れていました。まさか、私たち家族が先に帰ったことを恨んでいたなんて、夢にも知らなかったのです。恐ろしい邪念を除けば、M自体には何の興味もなく、特に思い出に残るような事は何もなかったのです。ただ、せっかく、海に来たのに、すごくつまらない・・・だけでした。

1976年 Mがアイドルデビュー。J事務所の暗黒期のはじまり。

ある日、いつも購入している、少女向けの漫画雑誌を開くと、新人タレントの写真が掲載されていました。同学年のやせた大人っぽい男の子でした。名前はM。女の子みたい・・・本名・・・私は何かを思い出しかけましたが、その時はわかりませんでした。けれど、同じ年のアイドルは珍しいので記憶はしました。それから、芸能人好きな友人が、芸能雑誌を休み時間貸してくれましたが、Mの記事が見開きで出ていました。その時に、記事の後半に「子供のころの思いでと言えば、民宿で会った女の子・・・ある朝、家族ごといなくなっていた。納屋の方まで探しに行ったがいなかった。○○○と呼ばれたことも。」それを読んでも思い出せませんでした。ただ、へぇ~と思っただけ。けれど、それから、次第に、もしかしたら、会ったことがある男の子かもしれない。どこだったろう・・・確か男の子にひどいことを叫んだような・・・でも、なぜ・・・海だったろうか・・・その時の子かなぁ・・・それに、外見が記憶と全く違います。また、中学生向けの読み物にMの記事が載っており、母親の写真が小さく、掲載されていて、○山で喫茶店をしているという。父親はいないとのこと。その母親の顔が、まったく違うのです。それに、72年には、転校ばかりして、引っ越してばかりいると言っていた。やはり、別人かと思いました。それに、まさか、集団や、事象を念の力で操り、思い通りにする不思議な力など、それはSF小説や映画だけのできごと。

そのころ、ユリ・ゲラーなど、スプーン曲げが、クラスではやったり、文化祭にクラスで心霊研究などをやりましたが、超心理学では、エドガー・ケイシーやクロワゼットなど、透視能力などを犯罪捜査に役立てたり・・・また、日本は、そうした方面では遅れているなど、記述は読みましたが、身近にそんな人はいません。ほとんどが、インチキだと思われていたのです。むろん、ESPカードなども、もしかしたら、超能力?と思えるほど当たる人はいません。日本には、あの、TVに念写真で出演する少年以外には超能力者なんていないのでは・・・そんなふうに思っていました。けれど、本当に、強い力を持った悪心の超能力者がTVやマスコミに披露するだろうか・・・むしろ、インチキでそんな超能力などはないと周囲に思わせなければ・・・ということのほうが正解なんでしょう。超能力なんてない。そんなことあるはずがない、それは見間違いだ。幻覚だ。お前の気がふれているんだ。

Mが、あの時「芸能人になれるよ!だって僕は何でも思い通りになる力をもっているんだもの。」その時は、(そんなわけないじゃない。どうしてそんな嘘を言うんだろう・・・いやだな)と思っていたのに、徐々に、不穏な出来事がおこり、臓腑が底冷えしてくる。危険!それが、あの9歳の頃の感情です。しかも、後半は自分の思い通りにしようと、つきまとって放さないようなしつこさ。頭が重くしめつけられるような気がしたのは、念の力で、実際に脳をしめつけているのです。すさまじい怒りと恨み。Mの超能力の根源にはそれがあるのです。そして、人の心をもたない、恨みと怒り、人の幸福をじわじわと壊し、存分に苦しめてやろうと、反面、自分が名誉欲や旨みを存分にすすろうとMの母親によって、念の力をけっして人を幸福にしない、悪いことばかりを起こすように洗脳され、方向ずけられたのです。

この後、くどくなってしまいますが、9歳の頃のM。また、私が上京してきて、グラフィックの専門学校から、卒業。某メーカーのデザイン室に勤務していたとき、週末、当時つきあっていた男の子と新宿の駅構内で待ち合わせしていたとき(21歳の時です)むろん、昼間ですが、私に声をかけてくる人がいました。別に幻覚ではありません。驚いたことに、Mも含めて4人・・・知っている同世代の芸能人がいました。そのときは、とっさに「知らない。」と言いましたが、Mがアイドルを挫折したことから、その不満を向けるはけ口として、私に執拗な嫌がらせや邪念を使ったストーカー行為を続けるようになった現在までを、少しずつ綴っていきます。

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夏休みに入り、実家でも続くMの卑劣ないやがらせ、あの海で!!!

9歳の海で、まだすべてが書ききれていません。どうやら、邪念で一番ブロックがかかっているようです。息子の小学校が夏休みに入り、N県の実家に来ています。普通の主婦である私は、夏休み、子供をつれて帰省するのですが、やはり、思ったとおり、私の母に手出ししていて、母は首が痛くて、手も上に上げられない状態の中、仕事に出かけています。私も、夏休みに入り、Mのほうは、私がほっとできる瞬間や、出かける機会をうかがい、のんびりはさせないぞ、俺には居場所がないんだからな・・・・お前もそういう思いをしろと執念深く様子を伺います。おそらく母に無理な行動をとらせたうえ、あの邪念!

脳と頭蓋の間に親指を差し入れて、上からメリメリと舐りこむような圧迫を加える念の力。72歳の母の首はがたがたになってしまいました。あとは何とか、大事にする他はないのですが・・・私も、邪念の圧迫で、ここ一ヶ月ほど、首と頭がかなり痛みました。

この7月も、いつもの新潟の海水浴場に出かけました。母が車を出してくれましたが、体が痛む中無理をさせてしまいました。母は気丈で、無理をしがちです。私がもっと気をつけてあげなければいけなかった。母はMのことは覚えていません。Mが邪念で脳を圧迫し記憶を欠落させたのでした。おかげで、一時、アルツハイマーではないかと心配したくらいでした。父は「俺は覚えているぞ。」と言っていましたが、その後Mにどうされたのか・・・今年初めに、癌の手術でそれどころではなかったのです。

先々週ぐらいでしたか、MがTV通販に出ていましたが、また、顔の感じが変わり、いくら整形を繰り返しても、私にはもはや、人間の顔には見えません。いくら、芸能人の仮面をかぶっても、中身がもはや人間のすることではない。老人や子供に手を出しても、どんなにいやらしいことをしても平気です。普通の人間のふりだけは、仮面だけは子供のころから周到にかぶってきた。一皮脱げば、自分の気がすまなければ、どんな悪いことでもする。どれほどのことをしても、邪念なので、直接の証拠はない。Mが社会的な制裁を加えられることはなかったのです。けれど、多くの人がその事実を知っています。

また、外人の奥さんとの軋轢で居場所がなくしめだされている。MはなんとかTVでもそんなことはない!妻がきついのも芸能ねたに・・・と何とか立場を保とうとしているが、Mのクサの若い女の子も(思念しか伝わらず、顔はわからないが)ああ・・・Mと奥さんはTVでは一緒に出てくることもあるけれど・・・もう全く。その、憤懣をMはうっかり、子供時代、民宿で隣だった、私たち家族・・・平和で幸福なら、お前たちも俺のような不満をあじあわせてやるぞとMの母親に洗脳され、ターゲットにされてしまったのです。まるで私が、Mを無理やり芸能人にして挫折をあじあわせた責任があるかのように・・・(しかも私は9歳だったのに)

私の母が、Mの母に「そんな・・・子供を芸能人にして、自分が金持ちになろうだなんて、子供の人生を・・・そんなこと子供が成長して知ったら母親を恨みますよ。」といったのを根に持ち、それなら、Mの憤懣や恨みを、幸福そうなお前たち家族に、たたきつけてやろうと連日、民宿から去っても執念深くMが私たちを忘れないように洗脳し続けてきたのだろう。

Mの母、あの哀れっぽい、「ご苦労なさって。」といわれて、「ブヒ~ッ。」と顔を伏せた。トラックに載せられた豚の群れを見ると、小太りで、ひょうたんをつぶしたようにヒップの下がった、足の短い姿が浮かぶ。Mの容姿とは正反対だ。けれど、Mが13歳でデビューしたときは、別人に整形して、喫茶店の女主人として、小さく掲載されていた。

戸外から遠隔で邪念を使えば、狙った娘の家へ忍び込み、複数で輪姦、などのし放題。眠っているときを狙い、邪念で暗示をかけておけば、その娘にも記憶は残らない。そうして、Mno邪念を知っているものを共犯者にしたてあげ口を封じてきた。無論Mの母親は、そうしたことも全て知っていて、Mにそのような行動をとらせては、嬉しくてたまらない愉悦にひたっていたのです。Mが知っていること意外でも、この女は単独でどれほど酷いことをしてきたのでしょう。

けがれのない、幸福で信頼と愛情につつまれている娘をいかに、陵辱し、惨めにひきずりおろし、苦渋にのたうちまわらせる。そればかりではなく、邪念が使えるとなれば、もっと凝ったことをして、身を汚させ、じわりじわりと悪習をつけさせ、ころあいを見計らって周囲に暴露し、悪いやつだと罵らせる。Mの邪念をしらなければ、狙われた人間は、どうして自分はこんなことをしてしまったのかと、自分は悪いやつだと、苦渋にひたり、不潔な、煮え切らない、やりきれない思いを沈殿させる。

それこそが!MとMの母の狙いなのです。

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9歳のとき、いつも海水浴に行く海で、恐怖の邪念ストーカーに遭遇!!!

ここしばらくはMは、クサに見晴らせ、自分は気配を断つように、けれど脳を日中も締め付けてきます。むろん、家族に対する、いやらしい手くだしもやめません。隙があれば何とか家族同士、親しいもの同士を争わせようとたくらんでいます。

脳をぎりぎりまで締め付けておいて、息子に「ほら、ボールとれよ!」と遊びで使うボールをふいに投げさせ、あっ!と思った瞬間、すでに締め付けられていた脳は、ギクンと痛みました。私は、祖母や、47歳で脳卒中で亡くなった叔父(母の弟で、周囲の信望が厚く、農家の長男、母がもっとも頼りにしていた人物でした。)のように、倒れるかもしれない。いや、影でMの母親が糸を引いている以上、すぐに命を奪うような簡単なことはしないでしょう。おそらく、きれいだった晴美叔母がぶくぶく太り、周囲に気がふれたようなみっともない姿をさらさせ、私の家族を、母を身をよじるような苦渋に陥れること。そのきっかけも、私の愛する子供の手によってさせようという、最も残忍なたくらみです。

今日はやっと頭痛もおさまり、家のパソコンが急に使えなくなってしまったので、ネットカフェでつづり始めました。おとついぐらいまで、Mが就寝中も脳を締め続け、起きても疲れがとれず、具合の悪い状態が続いていました。このネットカフェに入り席を取るといきなりバリバリバリ!!と、工事でもしているのかすごい音が響きました。Mは脅しや暴害をいたるところではじめました。

いったい、9歳のとき何があったのか。新潟の海。そこはいつも海水浴の賑わい。海の家でのカキ氷。家族や従兄弟、または父の友人とその子供たちと、日の出前にでかけたり、いつもとはちがう、嬌声と楽しみ。はしゃいだり海水をかけあったり、時には、みんなでスイカ割ををしたり。夢中で網を持ち魚を探したり。おそらく多くの人はそんな思い出をもっているでしょう。止まりで民宿に行っても、他の家族と相部屋になることもありました。

私が小学4年の夏休み。その夏に限り、いつものように家族で海にはいけませんでした。昨年から私の念願の犬を飼い始めたこともあり、家族全員で泊まりというわけにはいかなかったのです。それに、建てたばかりの家のローンもあり、母は節約していたのではないかと思います。けれど、休みが終わった9月の初めの連休、奥の和室で母が父に、宿が取れたと話していたのを記憶しています。泊まりで海へ行くよ!私は、えっ!海へ行くの?やった。嬉しい。と思いました。それは海に行くよ!と聞いただけで海水浴の楽しさが目の前にあるような感じがしたからです。ですから、家族で泊まりにいける日を楽しみにしていたのです。ただひとつ、気掛かりは、犬のことでした。借家のときは、だめといわれていたけれど、ようやく買ってもらえた、ある日、父が帰ってきたときに、その腕に抱きかかえていた、可愛い子犬。生まれて数ヶ月ほどで、ミルクや世話など全て私がやりました。一緒に布団に寝かせたり、散歩したり、蓮華の花で花輪を編んでかけてみたり、芸をしこんでみたり。ボールを投げてとらせたりと、ひと通りのことをし、犬小屋が必要になれば、父が家を建てたときの残りのベニヤ板で、綺麗な犬小屋をつくってくれて、ようやくその生活に慣れたところでした。もうそろそろ一晩ぐらいなら、家族で家をあけても大丈夫。鎖をいつもより長めに庭中を散歩できるようにしておきました。ペットフードと水を多めにおいて車で、いつものように出かけました。

新潟の民宿に着くと、泊り客もいないようで静かな感じでした。その民宿は始めてのところでしたが、古い木造の二階建てで、部屋の作りも普通でなんの変哲のないところ・・・目の前にアスファルトの道路があり、それを渡り下ると砂浜に海。家族の部屋は二階の奥で南側の襖が出入り口で、前には廊下で窓があり、廊下の突き当りには半間ほどの押入れがありました。部屋に入ると、私はさっそく海に入れるのだと待ちきれずわくわくしました。

「水着は?」母に尋ねると、持ってきていないというのです。「ええっ!どうして!?海水浴もしないのにどうして来ちゃったのよ!」私は(今の私の息子のように)だだをこねはじめました。海水浴のシーズンではなかったのです。それを私は知りませんでした。けれど、海水浴ができないのに海に泊まりで来たことはなかったのです。海に泊まるなら海水浴。そうでなければ、秋は戸倉温泉の父の会社の保養所と、だいたいは決まっていたのです。

私が、母に文句を言っているときでした。目の前の廊下を誰かが横切ります。小太りの年配の女でした。部屋の私たちに気がつくと「布団はどこですか?」そんなこと尋ね、半間の押入れから、布団をとりだしていました。その後ろの腰の辺りに一人の男の子がまとわりついていました。「これっ!M。」女はしきりにたしなめていました。どうやら、私と同じ小学生ぐらい、私よりは二学年ほど年下のように見えました。

「ああ、他にも泊まりに来ている家族がいる。」私は少し安堵しました。それが、その後とんでもない恐ろしい自体を招くとは・・・けれど、最初は邪念ストーカーMもその母親も、普通の人に見えました。民宿にはどうやら、私の家族とその母子だけが泊り客のようでした。海の民宿では同じぐらいの子供がいると、一緒に遊んだり、仲良くなったりはあたりまえでした。その母子は襖を隔てた隣の部屋でした。私の母とMの母はごく普通に挨拶をして話し始めました。それは今でも、息子や母を連れて泊まりに出かけると、当たり前のことです。スキースクールに参加させると話すようになる家族もいます。

着いてすぐに、昼食の時間になり、じゃ、子供どうし一緒に食べようかとお膳を並べて、食べ始めました。「あっ。お刺身がある。」お刺身の小鉢を見て、Mは嬉しそうでした。私のお刺身の小鉢を少しの間じっとみていましたが、私は「お刺身、私のもあげようか。」とMにいいました。私はあまり、お刺身や、肉類を食べない。農家で鶏を絞めるさまを見て以来、生き物を殺して食べるということに、疑問を抱いたので・・・実際、お刺身も、鶏肉も、家でこっそり、犬にほとんどあげてしまっていました。それから、Mが小太りなのと対象的に、私は、木登りも得意な活発で痩せた少女だったのです。

「えっ!くれるの。ありがとう。」Mはすぐに小鉢をとりました。グリンピースも嫌いということで私はとってあげました。私の通っている日曜学校の女の子たちが小さな子の世話をしていましたが、それも何気ないことだったのです。

今思えば、あの時なぜ、親切にしてしまったのだろう。悔やまれてなりません。友人に、恵まれない人に親切にと、小学校でも、日曜学校でも教えるけれど、世の中には絶対に親切にしてはいけない人間がいる。そしてMの邪念母子がまさにそうでした。けれど、身なりもよく、恐ろしい邪念をもっている。それから、非情な恨みをもっている。そんなことは、全く気がつかない。一見、のどかで平和な風景です。

お昼がすむと、私の母は私に、「これでお菓子でも買って食べなさい。」と私に100円をくれました。私が友達を連れて行くと、いつも小銭をお菓子代としてくれるのでした。10円玉で友達と不二家にキャンディ2本買いに走ったこともよくありました。当時ラーメンが一杯80円。100円は、せっかく泊まりにきたのだからと奮発してくれたのでしょう。そんな様子をMの母が(あっ。金を出したよ。)と内心伺っていたのは、私も、母も気がつきませんでした。

私と、Mは階段下の、ロビーまで行き、そこに小さな売店があり、お腹がすいていなかったので、そこで売っていた、ちいさなおもちゃを、「これにしようか。」とMに話しかけMもうなずいたので、それを買いました。海にきたのに、つまらないね。などと話しながら・・・それはビー玉がボールになっている、小さなボーリングゲームでした。おもちゃはめったに買ってもらえず、やはり貴重でした。小さなピンを倒しながら。私とMはそれに興じていました。途中、部屋に戻ると、私の母とMの母が膝をついて話していました。廊下でちらっと見ていたので全てはわかりませんが、母が「それでは、ご主人を亡くされて、お一人で、ご苦労なさって・・・。」それに対して、Mの母は、いきなり「ブヒィ~ッ!ええ!ええっ!!」と感情をあらわにして、歯をむき出し顔を伏せました。Mの母は本当に、今でも羨ましく怒れば、歯をむき出しにして地団太踏むような人間です。

けれど、当時は私も「ああ。お父さんが死んでしまって可哀相に。苦労したんだろう。」とよくわからないまでも、そう思いました。まさか、男に捨てられ、いや、むしろ結婚や恋愛とは無縁に自分の面倒見てほしさに、関係を持ち、やはり、今のMと同じに(Mはアイドルになったにもかかわらず。)相手を騙しては肉体関係をもち、自分の面倒をみてほしさに、執念深くすがりつき、結局は、あまりのしつこさから、やはり、あまりにひどいことを男から言われたり、仕打ちを受けたり、ついには、たった一人で私生児Mを産んだときに、物凄いほどの怒りとともに生まれたであろうM。それは私の周囲のどの子供とも違っていました。そんな女が最初に呪ったのは、生まれたMだったのです。自分が受けた仕打ちをお前であがなってやる。自分がこんなに苦しんでいるんだから、お前も決して幸福にはしない

Mは自分の母親からの洗脳をとかなければ、決して呪縛から解かれることはない。Mも私につきまといながらも、何で俺はこんなことをしているのかと疑問に思うようですが、Mの母が荒れ狂うと、畜生とまた、私に向かってきます。

9歳の夏の民宿で、この後、私はMから、「思い通りになる不思議な力がある。」こと、「芸能人になる勉強をしている。」ことを聞かされるのです。それから私の感情が突如切れたこと。不思議な力はその時は信じなかったものの、ぞっとしたこと。

それから、MがデビューしたJ事務所。金に汚く、肉体関係を持つことで、面倒をみてもらえる、週刊誌がJ事務所の悪体質として、暴き立てることの元凶は、みなM邪念母子が元凶と言って過言ではないでしょう。また、Mの習性として、自分がいい思いができなくなったら、散々に寄生し、搾取した挙句に、ターゲットに人前で邪念をこっそり使い、悪い言動をとらせてから、今度はそれを暴露していくという。それは今現在も続いています。

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