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邪念ストーカーM!その出会いと現在。

邪念ストーカーM。現在も私や家族への執拗な嫌がらせが続いています。私自身も、超能力が実在すること、Mの不思議な力。それから、どんな人間が、その超能力を他人に(あるいは、もっと大きな範囲で)使っているか、考えを進めていくと身震いし、また、やりきれないほどの、怒りと吐き気を感じます。もし、これを読んでくださっている方がいれば、とても信じられない内容でしょう。けれど、現実に何があったのか書き出してみることにします。

1972年 9月 新潟の民宿で、家族旅行のとき、隣室にMとMの母が宿をとる。

 Mから、自分は芸能人になる勉強をしている。また、何でも思い通りになる、                 不思議な力をもっていること、私の妹に使うのを見た。本当に、やりたいことと、逆行動を取るのを見たが、その時は、半信半疑。そのほか、ぞっとするような、とても不愉快なことがいくつか・・・・子供でお金持ちになりたいというMの母に不安をおぼえた両親。翌朝、Mたちが眠っている早朝、宿をたつ。Mの記憶はうすれていく。

      10月 私が自宅の階段から転落。入院する。

 そのころから、周辺で争いが起こり始め、特に母方の実家を中心に叔母達が、ある者は、姑との諍いが熾烈になり、実家で服毒自殺を試み、叔父の処置で一命をとりとめる。長男の叔父は、農家と鯉の甘露煮の店を成功させ、村の名士になる。しかし、その叔父も、自分の妻と母の争いで、外部に女性をつくってしまった。また、大阪で裕福な家に嫁いだ叔母も、姑との争いから、邸宅の一室にこもり、そこで、生活を始める。また、母の弟で、表彰されたという腕のいい整備士だった叔父が、急に競馬をはじめ身をもちくずし、母から借金をかさねる。(ある日、地方の旅館から、母に自殺するかもしれないので、迎えにきてくれと電話がはいる。)母がこのころから、内職に励むようになった。(このころの事情は、私には聞かされず、知ったのは、つい最近。)私の家の前家でで、同じ学校のW子ちゃんの家で、深夜、争う声が聞こえ、W子ちゃんの父親が、外部に女性をつくり、家を出てしまった。家の前で彼女の母親と右側の教会の若い女の先生の怒鳴り合う声が聞こえた。(境界線のことでトラブルがあったらしい。私も日曜は前の教会の日曜学校にかよっていたが、病院やボランティア活動など、優しい先生だが・・・) 

1973年 私は、小学校5年生になる。妹がほとんど視力がないことがわかり、母が衝撃をうける。6月には、母の実家の祖母が脳梗塞のため、急死。(私を可愛がってくれた祖母だった。)

私の視力も、階段の頂上から落ちたせいか、左の視力が極端に悪くなり、コンタクトをつくる。妹の目の手術で東京へ行くなど、母が奔走。医師から、妹は盲学校へ行った方が良いと、医師から言われ、母は相当に悩んだようだ。また、私の友達関係にも争いが起こり、爪をかむ癖が出始め、歯並びががたがたになってしまった。また、筆跡が乱れていき、担任教師から、母に注意があり、クラスメイトの母から、書道を習うことになる。そのころから、常に頭が重く、情緒不安定になり、どもりの癖がでてしまった。書道の帰り、スーパーに寄り、なぜか、万引きをしてしまう。この時のことは、あまり覚えていないが、商品をみていて、うっかり鞄に入れてしまったことが、きっかけになり、何度も繰り返すようになった。補導員にみつかり、やめる。最悪の気分だったが、学校は休まず。仲良しの友達から、詰問される。記憶に残るのは、補導員に見つかったとき、なぜか、そのコーナーにはもう一人、太った男の子がいて、他に誰もいず、それは隣のクラスの男の子だったが、Mに似たタイプの子だった。席替えがあり、私の隣の席には、クラスで一番乱暴な男の子の隣になる。(私生児ということらしかったが)給食に果物がでたら、そっちの方が大きいから、とりかえろ!とすぐ手をのばしたり、机の下から、足をけってきたり、私も言葉がどんどん悪くなり、その子と私で、クラスで一番忘れ物が多くなってしまった。また、その子のけんか相手でやんちゃな男の子が、Mとは別に、後に高校時代、スターのオーディション番組から、アイドルデビューしたりということもあった。

このころは、母の実家や叔母、叔父のことは、何も聞かされておらず、祖母がなくなったので、寂しかったせい・・・と後日、気持ちの整理をつけた。妹の視力のことも、私は特に気にはしていなかった。手術のため、一緒に東京に行ったが、(万引きの件は、どうしても自己嫌悪で、気が重くなったが)母がはとバスツアーに申し込んでくれたことと、ファッション誌から、私の好きなデザインのワンピースを手作りしてもらったのと、目新しさで、母の抱えている深刻な状況には全く気がつかなかった。父方には、何も起こらなかったと思う。それから、気になったことは、ある日、学校の帰り道、家の付近で雨が降ってきたとき、母が私を手招きした。「早く、中に入りなさい。」その時に、私と一緒に走り出す男女がいて、なぜか、私と一緒に私の家まで来た。若い夫婦といった感じの人たちだが、自分たちに呼びかけたと思ったのだろう。母も驚いたが、とりあえず家の中に入れて、世間話をしていた。この辺の人じゃない。土地でも見にきたのか・・・ただ、女性の方が、家のリビングを見回して、「普通の家よね・・・」とつぶやいたのが記憶に残った。もしかして、私の家を見に来た?まさか・・・知らない人たち。

1974年 可愛がっていた犬が、毒物で急死。

私は小学校6年になっていたが、家を新築して間もなく、私がずっと飼いたいと言っていた言葉を聞き入れてくれて、父が、柴犬の子犬を連れてきた。家の廃材で父が綺麗な犬小屋をつくってくれて、毎日散歩をしていたが、どういうわけか、72年以降、私が好きな従兄弟達や、綺麗なものに近寄ると、急に気持ちがひけるようになった。気持ちがどんどん暗くなっていった。犬に近寄っても、以前のような喜びがわき上がらなくなってしまった。気持ちがすさんで、犬に近寄らなくなってしまった。学校から、帰るとタロウはうれしそうに吠えたが、心は麻痺したように動かなくなった。また、父がカメラを向けると、わざといやな顔をしてみせたり、無表情になっていった。ある夜、犬を放した、翌日。(田園が多いので、首輪をしていれば放しても良かった)タロウの様子が変になっていった。急速に弱っていく。どうしたことだろうか。学校から、帰るとタロウのそばについていた。父も会社からかえり、ずっとそばについている。けれど、そのまま、動かなくなってしまった。死因は、多分、毒物。父もそう思っていたようだ。私も、その時は気持ちが動転していたが、何か、害虫用の毒物を食べてしまったのか・・・翌日、硬直したタロウの体を、車に乗せ、父と二人で河原に埋めた。父は、私を責めなかった。私は、どうしようもない、或部分自分の一部が死んでしまったように、沈黙のまま・・・ああ、私はだめだ・・・あんなに、自分で面倒をみると言っていったのに、死なせてしまった。その悔恨から、楽しかった思い出まで、今日まで思い出すことがなかった。犬を飼ったことがある人ならわかるかも知れないが、可愛がってくれた祖母の死より、自分の責任で死なせてしまった、犬のことを思い出すと、涙があふれてくる。

小学時代は、ある日をさかいに、じわじわと悪い方向に向かってしまったが、実際はそんな中でも、日曜学校の活動は楽しかったし、イギリス人の老婦人も自宅に招いてくれて、子供達で母の日のカーネーション作りや、母の実家での、賑やかな餅つき、(兄弟従兄弟が多かったので、)田植えや稲刈り、イナゴ取りの賑わい。また、低学年時、仲の良いともだちと、走り回ったり、宿題をしたり。暗くなるようなこともあったけれど、読書量はクラスで一番多かったと思います。また、絵画教室でも友達との遊びなど思い出は多くあります。あの、72年の9月以外は、海には従兄弟達とテントで寝泊まりして、叔父が取れたての魚を調理してくれたり、スイカ割りや、父の友人とその子供達と、早朝から遅くまで、海水浴など、とても楽しい思い出も多いのです。また、父の姉がアメリカの海軍の艦長と国際結婚をしており、クリスマスに送られてくるアメリカのチョコレートなど、めずらしい思いをしたことも・・・芸能人は、兄弟5人グループが超人気でクラスでブームが起こりました。同世代の小学生がいるのです。私も、このレコードだけは購入しました。いとことスキー場で、はじから歌ってみたり・・・

1975年~大阪で叔父がスタイリストの会社をたちあげる。撮影にモデルがきた服が私宛に、送られてくるようになる。

中学にあがり、今までとは違う友人関係の中で、バレーボール部に入部。小学校の時は母のママさんバレーを応援したりと、(母は高校時代、バレー部のキャプテンだったので)私も、バレーボールは好きでした。邪念ストーカーなど、陰湿なものにさえつきまとわれなければ、私は、いたって健全なのでしょう。背筋力は、男子を含めて、クラスで三番目にあり、ジャンプ力は女子の中で一番。腕相撲も、教生できた、女の先生には、負けてしまったけれど、強いほう。リレーにも出たことがあります。足は、まあまあ早いほう。一年でも、試合には時々、出してもらえました。けれど、あるとき、着地が悪く、尾てい骨にひびが入り、断念。美術部に入りました。このときの、整骨院の治療で肛門に指をつっこまれたのは、けっこうショックでしたが。美術部の教師は一○会のN県の名士で、NHKTVにも、リンゴ畑ばかりを描く画家として、紹介されました。私が中二の時に文化祭に出した、15号の風景画を○美術館で、一○会の美術展のときに、一緒に展示してくださったり、後に、その油彩画はずっと、中学校の保健室に飾ってあったそうです。とはいえ、中学は至近距離、バレー部の前を通らなければ通えないので、しばらくは、早朝練習をしている、先輩や同級生を横目でながめながら、登校するのはつらかった時期もありました。小学時代のクラスメイトで、後にアイドルデビューしたT君のお姉さん(面倒見の良い、気さくな人でしたが)がそんな私を、ときどき、気の毒そうに見ているのを知っていました。また、中学時代は百人一首大会が校内であり、母の実家では兄弟皆で、やっていたそうで、我が家も家族で、正月はやる習慣になり、私は、三年間を通して、一番だったのです。

このころ、大阪で、母の妹、晴美叔母のご主人がスタイリストの会社をたちあげていて、モデルの着た、サンプルの服を私宛に、ダンボールで送ってくれるようになりました。晴美叔母も邸宅の一室にこもるように暮らしていた状態から、マンション住まいに変え、問題もなくみえましたが、後に、とても悲惨な状況になってしまうのです。・・・叔父は二度スタイリストの会社を立ち上げ、自ら社長になりましたが、倒産。叔母の大阪芸大時代のピアノまで、差し押さえの状態になり、気が触れたようになったようです。求婚者が多かったという叔母。とても優秀で、農家から、学校のピアノを借り、練習し、大阪芸大に入りました。母は女子校の生徒会長で、やはり優秀だったそうですが、弟妹達のために、銀行勤めをして、この叔母にも仕送りをしていたそううです。

後に、この叔母を見かけたときは、別人のようにぶくぶくと太り、ろれつの廻らない話し方歯並びも、がたがたになっており、とても、あの、スリムでこまたの切れ上がった話し方をする、センスの良い叔母と同一人物には見えませんでした。

また、家庭訪問時、担任が私の家に着て、私に妹の名を尋ね、私が答えると、「なに?ま○○ちゃん?」と言い。後で、妹と、どうして○○ちゃんなんて言うんだろうねと、笑いのタネになりましたが、それは、Mの名の訓読みだったのです。むろん、この頃は、Mのことなど、とうに忘れていました。まさか、私たち家族が先に帰ったことを恨んでいたなんて、夢にも知らなかったのです。恐ろしい邪念を除けば、M自体には何の興味もなく、特に思い出に残るような事は何もなかったのです。ただ、せっかく、海に来たのに、すごくつまらない・・・だけでした。

1976年 Mがアイドルデビュー。J事務所の暗黒期のはじまり。

ある日、いつも購入している、少女向けの漫画雑誌を開くと、新人タレントの写真が掲載されていました。同学年のやせた大人っぽい男の子でした。名前はM。女の子みたい・・・本名・・・私は何かを思い出しかけましたが、その時はわかりませんでした。けれど、同じ年のアイドルは珍しいので記憶はしました。それから、芸能人好きな友人が、芸能雑誌を休み時間貸してくれましたが、Mの記事が見開きで出ていました。その時に、記事の後半に「子供のころの思いでと言えば、民宿で会った女の子・・・ある朝、家族ごといなくなっていた。納屋の方まで探しに行ったがいなかった。○○○と呼ばれたことも。」それを読んでも思い出せませんでした。ただ、へぇ~と思っただけ。けれど、それから、次第に、もしかしたら、会ったことがある男の子かもしれない。どこだったろう・・・確か男の子にひどいことを叫んだような・・・でも、なぜ・・・海だったろうか・・・その時の子かなぁ・・・それに、外見が記憶と全く違います。また、中学生向けの読み物にMの記事が載っており、母親の写真が小さく、掲載されていて、○山で喫茶店をしているという。父親はいないとのこと。その母親の顔が、まったく違うのです。それに、72年には、転校ばかりして、引っ越してばかりいると言っていた。やはり、別人かと思いました。それに、まさか、集団や、事象を念の力で操り、思い通りにする不思議な力など、それはSF小説や映画だけのできごと。

そのころ、ユリ・ゲラーなど、スプーン曲げが、クラスではやったり、文化祭にクラスで心霊研究などをやりましたが、超心理学では、エドガー・ケイシーやクロワゼットなど、透視能力などを犯罪捜査に役立てたり・・・また、日本は、そうした方面では遅れているなど、記述は読みましたが、身近にそんな人はいません。ほとんどが、インチキだと思われていたのです。むろん、ESPカードなども、もしかしたら、超能力?と思えるほど当たる人はいません。日本には、あの、TVに念写真で出演する少年以外には超能力者なんていないのでは・・・そんなふうに思っていました。けれど、本当に、強い力を持った悪心の超能力者がTVやマスコミに披露するだろうか・・・むしろ、インチキでそんな超能力などはないと周囲に思わせなければ・・・ということのほうが正解なんでしょう。超能力なんてない。そんなことあるはずがない、それは見間違いだ。幻覚だ。お前の気がふれているんだ。

Mが、あの時「芸能人になれるよ!だって僕は何でも思い通りになる力をもっているんだもの。」その時は、(そんなわけないじゃない。どうしてそんな嘘を言うんだろう・・・いやだな)と思っていたのに、徐々に、不穏な出来事がおこり、臓腑が底冷えしてくる。危険!それが、あの9歳の頃の感情です。しかも、後半は自分の思い通りにしようと、つきまとって放さないようなしつこさ。頭が重くしめつけられるような気がしたのは、念の力で、実際に脳をしめつけているのです。すさまじい怒りと恨み。Mの超能力の根源にはそれがあるのです。そして、人の心をもたない、恨みと怒り、人の幸福をじわじわと壊し、存分に苦しめてやろうと、反面、自分が名誉欲や旨みを存分にすすろうとMの母親によって、念の力をけっして人を幸福にしない、悪いことばかりを起こすように洗脳され、方向ずけられたのです。

この後、くどくなってしまいますが、9歳の頃のM。また、私が上京してきて、グラフィックの専門学校から、卒業。某メーカーのデザイン室に勤務していたとき、週末、当時つきあっていた男の子と新宿の駅構内で待ち合わせしていたとき(21歳の時です)むろん、昼間ですが、私に声をかけてくる人がいました。別に幻覚ではありません。驚いたことに、Mも含めて4人・・・知っている同世代の芸能人がいました。そのときは、とっさに「知らない。」と言いましたが、Mがアイドルを挫折したことから、その不満を向けるはけ口として、私に執拗な嫌がらせや邪念を使ったストーカー行為を続けるようになった現在までを、少しずつ綴っていきます。

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