« 2008年8月 | トップページ | 2009年1月 »

2008年12月

またしても、息子に危害を加えようと脅す、邪念ストーカーM!!!

Mとの遭遇から、書き始めましたが、また、一昨日から深夜、脳をしめつけ、脅し始めたM。今日は小学校の終了日で冬休みに入ります。今年に入り、父の癌の手術、そして12月初めにも、再度の手術。11月は、4,5日ほど連日、深夜から、時には日中も邪念で脳を締め付けてきました。今も、頭がづきづき痛みますがあえて綴っていこうと思います。

邪念ストーカーM。最近もJ事務所のトップスターがとんでもない行動、セレブ住民の反発などが週刊誌に掲載されましたが、それはおそらくMの仕業なのではないかと思います。

MとMの母親の手口にはおおよそのパターンがあり、嫉ましいと思うターゲットにじわりじわりと悪い習慣や言動に邪念で誘導していき、それを周囲の人間に念で気にするよう、怒りを感じるように誘導していき、ある時、爆発させ争いまでに発展していく。ターゲットが、何て、悪いやつだ、恥ずかしいやつだと暴露して、苦渋に陥らせなければ・・・・怪我などをさせることもできるが、可愛そうだと周囲に言わせてはならない。同情されるのは自分だけでいい。

私の時も、9歳の少女だった私が、Mが、あまりにしつこかったのでヒステリー状態になりひどいことをいってしまい、そのことでMの仲間の芸能人は、こんなにMが、そのときの少女に会いに来てもらいたがっているのに、Mが可愛そうに思われて、いや、そう思わせていたようです。そのことは、多くの芸能人が知っていたようです。

また、最初は良い思いをさせて、後からじわじわと悪くしていき、より強い惨めさを、苦渋を味わうよう誘導しているようです。

どうしたら、もっともターゲットにより悲惨な苦渋を味あわせてやるかを執念深く狙っています。最近のMのトップスターも住民の前で、迷惑行動をとって涙を見せたと書いてありましたが、その頃、Mの連日の邪念は私の方だけでなく、羨ましいと思う人間に手当たり次第に向けていたようです、むろん、深夜だけでなく、日中も「死ね!泣け!」などと思念を送ってきますが、その時はそのターゲットに向けて、泣け、怒りを爆発させろなどの邪念を送っていたのだと思います。これはMがJ事務所で挫折し、その後のトリオがトップスターになりメインアイドルの座を奪われたMがトリオの中心アイドルを恨み、そのアイドルに業界の女性達の前で「自分はあなたがたと違ってビックだから。」と反発をかう発言をさせたり、Mならばそんなことは、簡単にできるのです。突発的に、思ってもみない行動をとらせることも。

涙なんかをみせる・・・それでも男なのかは、むしろ、Mに言った方がふさわしい。涙も感動の涙なら良いけれど。9歳の時、名前を「Mちゃん。」と聞いて、「えっ。女の子の名前?」と思いましたが、9歳の時の少女に恨みをもち、「知らない。」と言われただけで、仕事や生活や、人間関係をじわじわと悪化させ、復讐していたという女々しさ。

また、私の小学校の読み聞かせのボランティアも、教頭が「それは、先生方は社会人ですから、読んでもらってありがとうぐらいは言うでしょうけれど。」などの、新しいメンバーをつのる席で信じられないような発言をして、自由な発想の場を奪ったり、また、実家で高齢者組合の母に対しても、今まで無償で働いてきた人たちに対して、急に上司がかわり、とてもひどい発言があり、母以外の古くから苦労して立ち上げてきた人たちがほとんど、辞めてしまったそうです。

私自身も、Mが(私の勤め先の上司たちが知っていて)平気で、独身の私のアパートに忍び込みバックの底までかき回して、大事な物を隠したり、脅したりしているのを黙認し、また、会社でも、私がMのことを思い出すよう手伝いをしていたといいますが、そんな行動を黙認させるために、私がこんなに悪い女だということを納得させていたと言います。

けれど、仮に私が万引き経験などがあって悪い行動があったとしても、(Mは私の過去を調べたと言っていました。直接、深夜アパートに忍び込んで、それは周囲も知っていて、何の躊躇もなくMにとっては、あたりまえの行動になっていたようです。)勝手に、私の許しもなく入り込んで、バックや引き出し、トイレの汚物までかきまわしていいわけはないのに。

周囲の感覚も邪念で麻痺させていました。Mは普通のストーカーと違います。19歳から、私が学校の寮をでて、アパート暮らしを始めたときから、忍び込んでいたようですが、遠隔邪念で私の脳に直接鍵をかけ忘れるよう念じればその通りになり、また、念でその時間周囲の人払いをしておくこともできます。

今年から、私も派遣登録して働き始めましたが、月に数日、主人の平日休みに、食品のデモンストレーション、タウン誌のサンプリング、野菜工場などに出始めましたが、案の定液でのサンプリングをしているときに、「あなた、こんなことみじめでしょ・・・」とながながと話をはじめる老婦人に遭遇。無論仕事中にも、知人に会うこともありましたが、当然仕事を邪魔してくるのも、みじめだと思えと、邪念で私の脳に直接・・・あるいは他の者にそう言わせたりなどは想定していました。

また、子供に対しては野球の時は、うまく打てないように邪念で圧力を加えたり、運動会の時にリレーになったと言えば、私の思念を読み、大学入試の時、補欠だったのが悲しかったとわかれば、息子に圧力を加え、補欠にしてきたり。また、いじめ問題について懇談会で担任に聞けば、リトルの野球で邪念で息子の友達がいじめにあい辞めるという事件を起こしてきました。Mが邪念を加えると私にも、今ではMの思念と、それに重なるようにMの母の思念も読めるのです。

Mの母はMのデビュー当時は、整形して、喫茶店の女主人の体裁をつくろっていましたがそれ以前は水商売というより、○○専門の淫売婦だったようです。確かに、9歳の時、感じた、あの何とも言えないいやな感じ、不安感。それを知っても以外ではありません。これも一部の人間は知っていたようです。また、93年以降Mの父と黙される芸能人に認知されたといいますが、その時は、父は半身不随だったといいます。おそらく、邪念でじわじわと病気になるまで苦しめられたのでしょう。無論、Mの邪念は知らなかったと思います。

Mの邪念は隠蔽されていますが、業界のトップの人間は知っています。主に経済、宗教、警察関係など。

また、派遣の仕事を定期的にするようになってから、私も少し痩せ始めましたが、Mの母が「何だ、痩せちまうよ。それじゃ、しょうがないよ。」「羨ましいよ。私と取り替えるよ。・・・何だ、ちっとも私に似てこないじゃないか・・・」

Mの母が、なぜ、9歳の時民宿で泊まった私の家族をターゲットにしたのか・・・それは、美人をターゲットにしている訳ではなく、幸福そうだということ。家族に守られて、何不自由なく大切にされていることなのです。

携帯に仕事メールで、年末で、居酒屋のホールなどの仕事もありますが、おおよそMの母親は私が水商売関係で卑しい思いをすることを狙っているので、今は、そういう関係の仕事は入れません。仕事を始めたきっかけは、Mが金銭関係で損をするように手出しを始めたこと、癌の父に高価なステビアエキスを購入してあげたいことなど。無論、教育費などもありますが、Mはこれから、主人の仕事方面も狙ってくるかもしれません。主人はJRの運転士です。人の命を預かる仕事です。父方の祖父もJR、父と父の兄はNTT。弟はJR。私のいとこも、NTTや税務署など、比較的堅い勤めですが・・・ここ数年従兄弟達に離婚問題が続発しています。これはMが狙ったのです。私が9歳以降はMの母が、私の母方を中心に、そして今では、MとMの母が父方にも狙いをつけています。離婚や病気、死など。

私のボランティアにしても、Mや、Mのクサたちが「ほら、爆発しろよ。」と日中も争いを目的に狙っています。一緒の役員でおっとりした優しい、お母さんがいましたが、クサの女が「私、こういう女許せない。」と言い始め、その何日か後は、学校で配布のプリント物のことで、とりまとめをしている女性に対して「何度も、つきかえされて、私、爆発しちゃった。後から恥ずかしくなっちゃった。」と言っていましたが、ほとんど手当たり次第なのです。

また、最近不況になり、師走を迎え、世間は荒れてきましたが、そうした現象もMがひきおこしているのかもしれません。昨年、私が「物の価格が上がるのがいやね。」と電話で友人と話したりしていたので。

でも、どうしてそんなこととMが関係あるのか・・・それは経済の問題でしょう?と思われるかもしれませんが、92年私が、突発的にMの舞台を観に行って、その時はMはいろいろ復讐をしてすまなかったと言っていましたが、(周囲に私の上司もいたので)

Mがやったことの中に、私が生理痛がひどいのを知っていて、薬を効かない物にしてやった。またイタリア旅行に友人と行きましたが、私が旅行が趣味で、旅立ち前ロビーで、一服するのが好きと言うことを知り、空港を禁煙にしてやった、などと言っていましたが、その時は、製薬会社の社長と、航空会社の重役と知り合いなのか・・・と思っていましたが、そうではなく、いやな問題が続発してそうなるようにし向けるのです。その時は、よくわかりませんでしたが、確かに私の飲んでいたセデスという薬が、一時、薬効成分の一部を除いたことがありました。出勤前、飲んでも痛みがおさまらず、困ったことがありました。

それから、いま、Mの母親がどんな女かを知り、私が専門学校を卒業間際、友人と初の海外旅行を計画しているときに、就職の内定が間際で取り消しになったのか・・・また、Mが私の上司に訳を話して乗り込んできた職場でも、友人とバリ島旅行に行く直前に、私の担当のパッケージの柄を、外注が資料の一部として渡して任せたラッピングをそのまま模写し、そのまま商品化され著作権問題がおきました。結局使用料を払うということで決着はつきましたが、その時は、早朝、専務に単独で平謝りに行きました。また、その会社でも25歳の時に、卵巣切除の手術をしたり、入院中にいとこの理恵ちゃんが、○子ちゃんが大変なときに、旅行に行っていてすまない。などと言っていましたが、今は結婚後随分たつのに、そのいとこには子供ができないのです。Mのやりかたはわかっています。ほら、相手が子供ができないかも知れない。可愛そうと思うならお前をその目に遭わせてやる。どうやら、私の手術中も(むろんその時は知りませんでしたが)じっとりと成り行きを伺っていたようです。

それから、今朝もですが。邪念で脳を締め付け、また、息子に怪我をさせてやる。乱暴で手がつけれれなくさせてやる。と子供の残虐シーンを脳にぐいぐいとねぶりつけながら脅してきます。今日は軽井沢に母と待ち合わせて一泊の予定ですが、それも知っています。運動会や、家族で行くスキー、海水浴などの予定もしっていて、ホテルにまで邪念で脳を締め付け、翌日はふらふら状態で、スケジュールをこなさなければならなかったり。

Mは家に居場所がないといい、私にチクショウと邪念を向けてきます。外国人の奥さんに家を閉め出されたり。むろんMの奥さんは、私のことを知っています。9歳の時に会って、29歳の時に、はじめて花束を舞台にもっていった美談。それも今は、邪念による冒涜。嘘だと知っています。おそらくMの母が、その時はMと外国人の妻がうまく行かないのを知って、美談を邪念でこしらえ、慰謝料なしで離婚させようとしたのかもしれない。

けれど、どうかMの奥さんには、Mをこちらにこさせないで欲しい。Mは居場所がないと言って、私や子供達に、老人にひどいことを辞めません。私とMは無関係の赤の他人なのです。人の子供にまで良くしろとは望まないけれど、Mの恐ろしい行動を辞めさせて欲しいのです。Mだって、自分の子供は大切だと思うから。

|

邪念ストーカーM!その出会いと現在。

邪念ストーカーM。現在も私や家族への執拗な嫌がらせが続いています。私自身も、超能力が実在すること、Mの不思議な力。それから、どんな人間が、その超能力を他人に(あるいは、もっと大きな範囲で)使っているか、考えを進めていくと身震いし、また、やりきれないほどの、怒りと吐き気を感じます。もし、これを読んでくださっている方がいれば、とても信じられない内容でしょう。けれど、現実に何があったのか書き出してみることにします。

1972年 9月 新潟の民宿で、家族旅行のとき、隣室にMとMの母が宿をとる。

 Mから、自分は芸能人になる勉強をしている。また、何でも思い通りになる、                 不思議な力をもっていること、私の妹に使うのを見た。本当に、やりたいことと、逆行動を取るのを見たが、その時は、半信半疑。そのほか、ぞっとするような、とても不愉快なことがいくつか・・・・子供でお金持ちになりたいというMの母に不安をおぼえた両親。翌朝、Mたちが眠っている早朝、宿をたつ。Mの記憶はうすれていく。

      10月 私が自宅の階段から転落。入院する。

 そのころから、周辺で争いが起こり始め、特に母方の実家を中心に叔母達が、ある者は、姑との諍いが熾烈になり、実家で服毒自殺を試み、叔父の処置で一命をとりとめる。長男の叔父は、農家と鯉の甘露煮の店を成功させ、村の名士になる。しかし、その叔父も、自分の妻と母の争いで、外部に女性をつくってしまった。また、大阪で裕福な家に嫁いだ叔母も、姑との争いから、邸宅の一室にこもり、そこで、生活を始める。また、母の弟で、表彰されたという腕のいい整備士だった叔父が、急に競馬をはじめ身をもちくずし、母から借金をかさねる。(ある日、地方の旅館から、母に自殺するかもしれないので、迎えにきてくれと電話がはいる。)母がこのころから、内職に励むようになった。(このころの事情は、私には聞かされず、知ったのは、つい最近。)私の家の前家でで、同じ学校のW子ちゃんの家で、深夜、争う声が聞こえ、W子ちゃんの父親が、外部に女性をつくり、家を出てしまった。家の前で彼女の母親と右側の教会の若い女の先生の怒鳴り合う声が聞こえた。(境界線のことでトラブルがあったらしい。私も日曜は前の教会の日曜学校にかよっていたが、病院やボランティア活動など、優しい先生だが・・・) 

1973年 私は、小学校5年生になる。妹がほとんど視力がないことがわかり、母が衝撃をうける。6月には、母の実家の祖母が脳梗塞のため、急死。(私を可愛がってくれた祖母だった。)

私の視力も、階段の頂上から落ちたせいか、左の視力が極端に悪くなり、コンタクトをつくる。妹の目の手術で東京へ行くなど、母が奔走。医師から、妹は盲学校へ行った方が良いと、医師から言われ、母は相当に悩んだようだ。また、私の友達関係にも争いが起こり、爪をかむ癖が出始め、歯並びががたがたになってしまった。また、筆跡が乱れていき、担任教師から、母に注意があり、クラスメイトの母から、書道を習うことになる。そのころから、常に頭が重く、情緒不安定になり、どもりの癖がでてしまった。書道の帰り、スーパーに寄り、なぜか、万引きをしてしまう。この時のことは、あまり覚えていないが、商品をみていて、うっかり鞄に入れてしまったことが、きっかけになり、何度も繰り返すようになった。補導員にみつかり、やめる。最悪の気分だったが、学校は休まず。仲良しの友達から、詰問される。記憶に残るのは、補導員に見つかったとき、なぜか、そのコーナーにはもう一人、太った男の子がいて、他に誰もいず、それは隣のクラスの男の子だったが、Mに似たタイプの子だった。席替えがあり、私の隣の席には、クラスで一番乱暴な男の子の隣になる。(私生児ということらしかったが)給食に果物がでたら、そっちの方が大きいから、とりかえろ!とすぐ手をのばしたり、机の下から、足をけってきたり、私も言葉がどんどん悪くなり、その子と私で、クラスで一番忘れ物が多くなってしまった。また、その子のけんか相手でやんちゃな男の子が、Mとは別に、後に高校時代、スターのオーディション番組から、アイドルデビューしたりということもあった。

このころは、母の実家や叔母、叔父のことは、何も聞かされておらず、祖母がなくなったので、寂しかったせい・・・と後日、気持ちの整理をつけた。妹の視力のことも、私は特に気にはしていなかった。手術のため、一緒に東京に行ったが、(万引きの件は、どうしても自己嫌悪で、気が重くなったが)母がはとバスツアーに申し込んでくれたことと、ファッション誌から、私の好きなデザインのワンピースを手作りしてもらったのと、目新しさで、母の抱えている深刻な状況には全く気がつかなかった。父方には、何も起こらなかったと思う。それから、気になったことは、ある日、学校の帰り道、家の付近で雨が降ってきたとき、母が私を手招きした。「早く、中に入りなさい。」その時に、私と一緒に走り出す男女がいて、なぜか、私と一緒に私の家まで来た。若い夫婦といった感じの人たちだが、自分たちに呼びかけたと思ったのだろう。母も驚いたが、とりあえず家の中に入れて、世間話をしていた。この辺の人じゃない。土地でも見にきたのか・・・ただ、女性の方が、家のリビングを見回して、「普通の家よね・・・」とつぶやいたのが記憶に残った。もしかして、私の家を見に来た?まさか・・・知らない人たち。

1974年 可愛がっていた犬が、毒物で急死。

私は小学校6年になっていたが、家を新築して間もなく、私がずっと飼いたいと言っていた言葉を聞き入れてくれて、父が、柴犬の子犬を連れてきた。家の廃材で父が綺麗な犬小屋をつくってくれて、毎日散歩をしていたが、どういうわけか、72年以降、私が好きな従兄弟達や、綺麗なものに近寄ると、急に気持ちがひけるようになった。気持ちがどんどん暗くなっていった。犬に近寄っても、以前のような喜びがわき上がらなくなってしまった。気持ちがすさんで、犬に近寄らなくなってしまった。学校から、帰るとタロウはうれしそうに吠えたが、心は麻痺したように動かなくなった。また、父がカメラを向けると、わざといやな顔をしてみせたり、無表情になっていった。ある夜、犬を放した、翌日。(田園が多いので、首輪をしていれば放しても良かった)タロウの様子が変になっていった。急速に弱っていく。どうしたことだろうか。学校から、帰るとタロウのそばについていた。父も会社からかえり、ずっとそばについている。けれど、そのまま、動かなくなってしまった。死因は、多分、毒物。父もそう思っていたようだ。私も、その時は気持ちが動転していたが、何か、害虫用の毒物を食べてしまったのか・・・翌日、硬直したタロウの体を、車に乗せ、父と二人で河原に埋めた。父は、私を責めなかった。私は、どうしようもない、或部分自分の一部が死んでしまったように、沈黙のまま・・・ああ、私はだめだ・・・あんなに、自分で面倒をみると言っていったのに、死なせてしまった。その悔恨から、楽しかった思い出まで、今日まで思い出すことがなかった。犬を飼ったことがある人ならわかるかも知れないが、可愛がってくれた祖母の死より、自分の責任で死なせてしまった、犬のことを思い出すと、涙があふれてくる。

小学時代は、ある日をさかいに、じわじわと悪い方向に向かってしまったが、実際はそんな中でも、日曜学校の活動は楽しかったし、イギリス人の老婦人も自宅に招いてくれて、子供達で母の日のカーネーション作りや、母の実家での、賑やかな餅つき、(兄弟従兄弟が多かったので、)田植えや稲刈り、イナゴ取りの賑わい。また、低学年時、仲の良いともだちと、走り回ったり、宿題をしたり。暗くなるようなこともあったけれど、読書量はクラスで一番多かったと思います。また、絵画教室でも友達との遊びなど思い出は多くあります。あの、72年の9月以外は、海には従兄弟達とテントで寝泊まりして、叔父が取れたての魚を調理してくれたり、スイカ割りや、父の友人とその子供達と、早朝から遅くまで、海水浴など、とても楽しい思い出も多いのです。また、父の姉がアメリカの海軍の艦長と国際結婚をしており、クリスマスに送られてくるアメリカのチョコレートなど、めずらしい思いをしたことも・・・芸能人は、兄弟5人グループが超人気でクラスでブームが起こりました。同世代の小学生がいるのです。私も、このレコードだけは購入しました。いとことスキー場で、はじから歌ってみたり・・・

1975年~大阪で叔父がスタイリストの会社をたちあげる。撮影にモデルがきた服が私宛に、送られてくるようになる。

中学にあがり、今までとは違う友人関係の中で、バレーボール部に入部。小学校の時は母のママさんバレーを応援したりと、(母は高校時代、バレー部のキャプテンだったので)私も、バレーボールは好きでした。邪念ストーカーなど、陰湿なものにさえつきまとわれなければ、私は、いたって健全なのでしょう。背筋力は、男子を含めて、クラスで三番目にあり、ジャンプ力は女子の中で一番。腕相撲も、教生できた、女の先生には、負けてしまったけれど、強いほう。リレーにも出たことがあります。足は、まあまあ早いほう。一年でも、試合には時々、出してもらえました。けれど、あるとき、着地が悪く、尾てい骨にひびが入り、断念。美術部に入りました。このときの、整骨院の治療で肛門に指をつっこまれたのは、けっこうショックでしたが。美術部の教師は一○会のN県の名士で、NHKTVにも、リンゴ畑ばかりを描く画家として、紹介されました。私が中二の時に文化祭に出した、15号の風景画を○美術館で、一○会の美術展のときに、一緒に展示してくださったり、後に、その油彩画はずっと、中学校の保健室に飾ってあったそうです。とはいえ、中学は至近距離、バレー部の前を通らなければ通えないので、しばらくは、早朝練習をしている、先輩や同級生を横目でながめながら、登校するのはつらかった時期もありました。小学時代のクラスメイトで、後にアイドルデビューしたT君のお姉さん(面倒見の良い、気さくな人でしたが)がそんな私を、ときどき、気の毒そうに見ているのを知っていました。また、中学時代は百人一首大会が校内であり、母の実家では兄弟皆で、やっていたそうで、我が家も家族で、正月はやる習慣になり、私は、三年間を通して、一番だったのです。

このころ、大阪で、母の妹、晴美叔母のご主人がスタイリストの会社をたちあげていて、モデルの着た、サンプルの服を私宛に、ダンボールで送ってくれるようになりました。晴美叔母も邸宅の一室にこもるように暮らしていた状態から、マンション住まいに変え、問題もなくみえましたが、後に、とても悲惨な状況になってしまうのです。・・・叔父は二度スタイリストの会社を立ち上げ、自ら社長になりましたが、倒産。叔母の大阪芸大時代のピアノまで、差し押さえの状態になり、気が触れたようになったようです。求婚者が多かったという叔母。とても優秀で、農家から、学校のピアノを借り、練習し、大阪芸大に入りました。母は女子校の生徒会長で、やはり優秀だったそうですが、弟妹達のために、銀行勤めをして、この叔母にも仕送りをしていたそううです。

後に、この叔母を見かけたときは、別人のようにぶくぶくと太り、ろれつの廻らない話し方歯並びも、がたがたになっており、とても、あの、スリムでこまたの切れ上がった話し方をする、センスの良い叔母と同一人物には見えませんでした。

また、家庭訪問時、担任が私の家に着て、私に妹の名を尋ね、私が答えると、「なに?ま○○ちゃん?」と言い。後で、妹と、どうして○○ちゃんなんて言うんだろうねと、笑いのタネになりましたが、それは、Mの名の訓読みだったのです。むろん、この頃は、Mのことなど、とうに忘れていました。まさか、私たち家族が先に帰ったことを恨んでいたなんて、夢にも知らなかったのです。恐ろしい邪念を除けば、M自体には何の興味もなく、特に思い出に残るような事は何もなかったのです。ただ、せっかく、海に来たのに、すごくつまらない・・・だけでした。

1976年 Mがアイドルデビュー。J事務所の暗黒期のはじまり。

ある日、いつも購入している、少女向けの漫画雑誌を開くと、新人タレントの写真が掲載されていました。同学年のやせた大人っぽい男の子でした。名前はM。女の子みたい・・・本名・・・私は何かを思い出しかけましたが、その時はわかりませんでした。けれど、同じ年のアイドルは珍しいので記憶はしました。それから、芸能人好きな友人が、芸能雑誌を休み時間貸してくれましたが、Mの記事が見開きで出ていました。その時に、記事の後半に「子供のころの思いでと言えば、民宿で会った女の子・・・ある朝、家族ごといなくなっていた。納屋の方まで探しに行ったがいなかった。○○○と呼ばれたことも。」それを読んでも思い出せませんでした。ただ、へぇ~と思っただけ。けれど、それから、次第に、もしかしたら、会ったことがある男の子かもしれない。どこだったろう・・・確か男の子にひどいことを叫んだような・・・でも、なぜ・・・海だったろうか・・・その時の子かなぁ・・・それに、外見が記憶と全く違います。また、中学生向けの読み物にMの記事が載っており、母親の写真が小さく、掲載されていて、○山で喫茶店をしているという。父親はいないとのこと。その母親の顔が、まったく違うのです。それに、72年には、転校ばかりして、引っ越してばかりいると言っていた。やはり、別人かと思いました。それに、まさか、集団や、事象を念の力で操り、思い通りにする不思議な力など、それはSF小説や映画だけのできごと。

そのころ、ユリ・ゲラーなど、スプーン曲げが、クラスではやったり、文化祭にクラスで心霊研究などをやりましたが、超心理学では、エドガー・ケイシーやクロワゼットなど、透視能力などを犯罪捜査に役立てたり・・・また、日本は、そうした方面では遅れているなど、記述は読みましたが、身近にそんな人はいません。ほとんどが、インチキだと思われていたのです。むろん、ESPカードなども、もしかしたら、超能力?と思えるほど当たる人はいません。日本には、あの、TVに念写真で出演する少年以外には超能力者なんていないのでは・・・そんなふうに思っていました。けれど、本当に、強い力を持った悪心の超能力者がTVやマスコミに披露するだろうか・・・むしろ、インチキでそんな超能力などはないと周囲に思わせなければ・・・ということのほうが正解なんでしょう。超能力なんてない。そんなことあるはずがない、それは見間違いだ。幻覚だ。お前の気がふれているんだ。

Mが、あの時「芸能人になれるよ!だって僕は何でも思い通りになる力をもっているんだもの。」その時は、(そんなわけないじゃない。どうしてそんな嘘を言うんだろう・・・いやだな)と思っていたのに、徐々に、不穏な出来事がおこり、臓腑が底冷えしてくる。危険!それが、あの9歳の頃の感情です。しかも、後半は自分の思い通りにしようと、つきまとって放さないようなしつこさ。頭が重くしめつけられるような気がしたのは、念の力で、実際に脳をしめつけているのです。すさまじい怒りと恨み。Mの超能力の根源にはそれがあるのです。そして、人の心をもたない、恨みと怒り、人の幸福をじわじわと壊し、存分に苦しめてやろうと、反面、自分が名誉欲や旨みを存分にすすろうとMの母親によって、念の力をけっして人を幸福にしない、悪いことばかりを起こすように洗脳され、方向ずけられたのです。

この後、くどくなってしまいますが、9歳の頃のM。また、私が上京してきて、グラフィックの専門学校から、卒業。某メーカーのデザイン室に勤務していたとき、週末、当時つきあっていた男の子と新宿の駅構内で待ち合わせしていたとき(21歳の時です)むろん、昼間ですが、私に声をかけてくる人がいました。別に幻覚ではありません。驚いたことに、Mも含めて4人・・・知っている同世代の芸能人がいました。そのときは、とっさに「知らない。」と言いましたが、Mがアイドルを挫折したことから、その不満を向けるはけ口として、私に執拗な嫌がらせや邪念を使ったストーカー行為を続けるようになった現在までを、少しずつ綴っていきます。

|

« 2008年8月 | トップページ | 2009年1月 »