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2008年7月

9歳のとき、いつも海水浴に行く海で、恐怖の邪念ストーカーに遭遇!!!

ここしばらくはMは、クサに見晴らせ、自分は気配を断つように、けれど脳を日中も締め付けてきます。むろん、家族に対する、いやらしい手くだしもやめません。隙があれば何とか家族同士、親しいもの同士を争わせようとたくらんでいます。

脳をぎりぎりまで締め付けておいて、息子に「ほら、ボールとれよ!」と遊びで使うボールをふいに投げさせ、あっ!と思った瞬間、すでに締め付けられていた脳は、ギクンと痛みました。私は、祖母や、47歳で脳卒中で亡くなった叔父(母の弟で、周囲の信望が厚く、農家の長男、母がもっとも頼りにしていた人物でした。)のように、倒れるかもしれない。いや、影でMの母親が糸を引いている以上、すぐに命を奪うような簡単なことはしないでしょう。おそらく、きれいだった晴美叔母がぶくぶく太り、周囲に気がふれたようなみっともない姿をさらさせ、私の家族を、母を身をよじるような苦渋に陥れること。そのきっかけも、私の愛する子供の手によってさせようという、最も残忍なたくらみです。

今日はやっと頭痛もおさまり、家のパソコンが急に使えなくなってしまったので、ネットカフェでつづり始めました。おとついぐらいまで、Mが就寝中も脳を締め続け、起きても疲れがとれず、具合の悪い状態が続いていました。このネットカフェに入り席を取るといきなりバリバリバリ!!と、工事でもしているのかすごい音が響きました。Mは脅しや暴害をいたるところではじめました。

いったい、9歳のとき何があったのか。新潟の海。そこはいつも海水浴の賑わい。海の家でのカキ氷。家族や従兄弟、または父の友人とその子供たちと、日の出前にでかけたり、いつもとはちがう、嬌声と楽しみ。はしゃいだり海水をかけあったり、時には、みんなでスイカ割ををしたり。夢中で網を持ち魚を探したり。おそらく多くの人はそんな思い出をもっているでしょう。止まりで民宿に行っても、他の家族と相部屋になることもありました。

私が小学4年の夏休み。その夏に限り、いつものように家族で海にはいけませんでした。昨年から私の念願の犬を飼い始めたこともあり、家族全員で泊まりというわけにはいかなかったのです。それに、建てたばかりの家のローンもあり、母は節約していたのではないかと思います。けれど、休みが終わった9月の初めの連休、奥の和室で母が父に、宿が取れたと話していたのを記憶しています。泊まりで海へ行くよ!私は、えっ!海へ行くの?やった。嬉しい。と思いました。それは海に行くよ!と聞いただけで海水浴の楽しさが目の前にあるような感じがしたからです。ですから、家族で泊まりにいける日を楽しみにしていたのです。ただひとつ、気掛かりは、犬のことでした。借家のときは、だめといわれていたけれど、ようやく買ってもらえた、ある日、父が帰ってきたときに、その腕に抱きかかえていた、可愛い子犬。生まれて数ヶ月ほどで、ミルクや世話など全て私がやりました。一緒に布団に寝かせたり、散歩したり、蓮華の花で花輪を編んでかけてみたり、芸をしこんでみたり。ボールを投げてとらせたりと、ひと通りのことをし、犬小屋が必要になれば、父が家を建てたときの残りのベニヤ板で、綺麗な犬小屋をつくってくれて、ようやくその生活に慣れたところでした。もうそろそろ一晩ぐらいなら、家族で家をあけても大丈夫。鎖をいつもより長めに庭中を散歩できるようにしておきました。ペットフードと水を多めにおいて車で、いつものように出かけました。

新潟の民宿に着くと、泊り客もいないようで静かな感じでした。その民宿は始めてのところでしたが、古い木造の二階建てで、部屋の作りも普通でなんの変哲のないところ・・・目の前にアスファルトの道路があり、それを渡り下ると砂浜に海。家族の部屋は二階の奥で南側の襖が出入り口で、前には廊下で窓があり、廊下の突き当りには半間ほどの押入れがありました。部屋に入ると、私はさっそく海に入れるのだと待ちきれずわくわくしました。

「水着は?」母に尋ねると、持ってきていないというのです。「ええっ!どうして!?海水浴もしないのにどうして来ちゃったのよ!」私は(今の私の息子のように)だだをこねはじめました。海水浴のシーズンではなかったのです。それを私は知りませんでした。けれど、海水浴ができないのに海に泊まりで来たことはなかったのです。海に泊まるなら海水浴。そうでなければ、秋は戸倉温泉の父の会社の保養所と、だいたいは決まっていたのです。

私が、母に文句を言っているときでした。目の前の廊下を誰かが横切ります。小太りの年配の女でした。部屋の私たちに気がつくと「布団はどこですか?」そんなこと尋ね、半間の押入れから、布団をとりだしていました。その後ろの腰の辺りに一人の男の子がまとわりついていました。「これっ!M。」女はしきりにたしなめていました。どうやら、私と同じ小学生ぐらい、私よりは二学年ほど年下のように見えました。

「ああ、他にも泊まりに来ている家族がいる。」私は少し安堵しました。それが、その後とんでもない恐ろしい自体を招くとは・・・けれど、最初は邪念ストーカーMもその母親も、普通の人に見えました。民宿にはどうやら、私の家族とその母子だけが泊り客のようでした。海の民宿では同じぐらいの子供がいると、一緒に遊んだり、仲良くなったりはあたりまえでした。その母子は襖を隔てた隣の部屋でした。私の母とMの母はごく普通に挨拶をして話し始めました。それは今でも、息子や母を連れて泊まりに出かけると、当たり前のことです。スキースクールに参加させると話すようになる家族もいます。

着いてすぐに、昼食の時間になり、じゃ、子供どうし一緒に食べようかとお膳を並べて、食べ始めました。「あっ。お刺身がある。」お刺身の小鉢を見て、Mは嬉しそうでした。私のお刺身の小鉢を少しの間じっとみていましたが、私は「お刺身、私のもあげようか。」とMにいいました。私はあまり、お刺身や、肉類を食べない。農家で鶏を絞めるさまを見て以来、生き物を殺して食べるということに、疑問を抱いたので・・・実際、お刺身も、鶏肉も、家でこっそり、犬にほとんどあげてしまっていました。それから、Mが小太りなのと対象的に、私は、木登りも得意な活発で痩せた少女だったのです。

「えっ!くれるの。ありがとう。」Mはすぐに小鉢をとりました。グリンピースも嫌いということで私はとってあげました。私の通っている日曜学校の女の子たちが小さな子の世話をしていましたが、それも何気ないことだったのです。

今思えば、あの時なぜ、親切にしてしまったのだろう。悔やまれてなりません。友人に、恵まれない人に親切にと、小学校でも、日曜学校でも教えるけれど、世の中には絶対に親切にしてはいけない人間がいる。そしてMの邪念母子がまさにそうでした。けれど、身なりもよく、恐ろしい邪念をもっている。それから、非情な恨みをもっている。そんなことは、全く気がつかない。一見、のどかで平和な風景です。

お昼がすむと、私の母は私に、「これでお菓子でも買って食べなさい。」と私に100円をくれました。私が友達を連れて行くと、いつも小銭をお菓子代としてくれるのでした。10円玉で友達と不二家にキャンディ2本買いに走ったこともよくありました。当時ラーメンが一杯80円。100円は、せっかく泊まりにきたのだからと奮発してくれたのでしょう。そんな様子をMの母が(あっ。金を出したよ。)と内心伺っていたのは、私も、母も気がつきませんでした。

私と、Mは階段下の、ロビーまで行き、そこに小さな売店があり、お腹がすいていなかったので、そこで売っていた、ちいさなおもちゃを、「これにしようか。」とMに話しかけMもうなずいたので、それを買いました。海にきたのに、つまらないね。などと話しながら・・・それはビー玉がボールになっている、小さなボーリングゲームでした。おもちゃはめったに買ってもらえず、やはり貴重でした。小さなピンを倒しながら。私とMはそれに興じていました。途中、部屋に戻ると、私の母とMの母が膝をついて話していました。廊下でちらっと見ていたので全てはわかりませんが、母が「それでは、ご主人を亡くされて、お一人で、ご苦労なさって・・・。」それに対して、Mの母は、いきなり「ブヒィ~ッ!ええ!ええっ!!」と感情をあらわにして、歯をむき出し顔を伏せました。Mの母は本当に、今でも羨ましく怒れば、歯をむき出しにして地団太踏むような人間です。

けれど、当時は私も「ああ。お父さんが死んでしまって可哀相に。苦労したんだろう。」とよくわからないまでも、そう思いました。まさか、男に捨てられ、いや、むしろ結婚や恋愛とは無縁に自分の面倒見てほしさに、関係を持ち、やはり、今のMと同じに(Mはアイドルになったにもかかわらず。)相手を騙しては肉体関係をもち、自分の面倒をみてほしさに、執念深くすがりつき、結局は、あまりのしつこさから、やはり、あまりにひどいことを男から言われたり、仕打ちを受けたり、ついには、たった一人で私生児Mを産んだときに、物凄いほどの怒りとともに生まれたであろうM。それは私の周囲のどの子供とも違っていました。そんな女が最初に呪ったのは、生まれたMだったのです。自分が受けた仕打ちをお前であがなってやる。自分がこんなに苦しんでいるんだから、お前も決して幸福にはしない

Mは自分の母親からの洗脳をとかなければ、決して呪縛から解かれることはない。Mも私につきまといながらも、何で俺はこんなことをしているのかと疑問に思うようですが、Mの母が荒れ狂うと、畜生とまた、私に向かってきます。

9歳の夏の民宿で、この後、私はMから、「思い通りになる不思議な力がある。」こと、「芸能人になる勉強をしている。」ことを聞かされるのです。それから私の感情が突如切れたこと。不思議な力はその時は信じなかったものの、ぞっとしたこと。

それから、MがデビューしたJ事務所。金に汚く、肉体関係を持つことで、面倒をみてもらえる、週刊誌がJ事務所の悪体質として、暴き立てることの元凶は、みなM邪念母子が元凶と言って過言ではないでしょう。また、Mの習性として、自分がいい思いができなくなったら、散々に寄生し、搾取した挙句に、ターゲットに人前で邪念をこっそり使い、悪い言動をとらせてから、今度はそれを暴露していくという。それは今現在も続いています。

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