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2008年6月

また、始まった悪夢!!!連日残虐な悪夢で脅しをかけるMのクサたち!!!

今は、深夜です。記事をふたたび綴り始めてから、Mのクサたちを使っての、脅しがまた、始まりました。16日の夜には、息子を捜し回り、酷い死体で見つかるなど、日常のニュースで何を、私が気にしているかを、遠隔で思念を読み取り、脅しの材料として蓄え、就寝時を狙って脳にねぶりこむのです。今も、子供のたちの酷い姿の写真や映像を見せられたり、(あるいはクサは写真を利用して、念で送り込んでくるかも知れませんが)ただ、その内容は、あまりにもぞっとするもので、今、買いても、むしろ信憑性を疑われてしまうので、詳しくは綴りませんが、こうして、書いているからMの残虐性を煽っているわけではありません。実際に9歳の頃を、思いだし、現実、また、恐ろしいことを始めたからです。

Mの報復です!!!

ただし、Mが9歳の頃、民宿で会った少女が、会いに来るのを(デビューして)楽しみにしていたが、知らないと言われ、アパートに忍び込み、保険証を隠したり、職場の上司や、企画のメンバーまでに、私の方が悪い人間と、邪念で、思いこませ、嫌がらせの手伝いをさせていたり、そうしたことが変に思わないように、どこか善悪の基準を摩耗させて・・・

何よりも、9歳の時の少女が、実に20年ぶりに、その少年に花束を持って会いに行った美談は(おそらく、Mの母親が名誉欲を味わいたくて、邪念で、突発的にとらせた行動でしょうけれど)有名な芸能人の多くは知っています。

21歳の時、毎週放送されていた、TV番組(若者に人気の番組でした)の仲間たちと、会いに来たのです。新宿で・・・私は、当時、つきあっていた人と待ち合わせのために、新宿のキヨスク前で待ち合わせていたのです。それ自体も、なぜ電話でしか時間、場所をつたえなかった、その時間、その場所を知っていて仲間と現れたのか・・・21歳の時、1983年ですが。その仲間は、私と同時代の人間なら、誰でも知っているようなアイドル。ストーカーという言葉は当時はありませんでした。

その時はMも含めて4人でしたが、うち一人が、私の方を、とん、と叩いてきたのです。その時の会話も全て覚えていますが、私は「知らない。」と言ってしまったのです。(それも、おそらくMの母親は知っていて、わざと知らないと言わせたのでしょう。私を、惨めな状態にして、自分たちのきらびやかさを見せつける。9歳の頃、幸福な私たち家族を見て、Mの母親は、惨めさと苦渋を味あわされたと、恨んでいたのでしょう。)けれど、その時、Mはもう落ち目になってきてはいました。Mにしてみれば、J事務所で邪念を使いメインスターであったけれど、いくら何でも、そうでないものは、そういつまでもメインスター扱いはしなかったのでしょう。邪念の効き目も真実に対しては効力がないのです。(いくらそう錯覚させていたとしても限界があります。)

もう少し、順を追って書きたかったけれど、矢継ぎ早の嫌がらせを、日中も連続的に起こしています。脳にダイレクトに邪念をねぶりつけてくるので、左脳の一部と首筋がグキグキと痛みます。日中でも私が痛がっている場所や、困っていることがあると、いっそうひどくしてやれと、さまざまに仕掛けてきます。

また、息子に対しても、海水浴など旅行に行ったり、例えば今日も、O市の卓球教室で一番になり、祖母にメールをして、良かったと思えば、急に帰り道息子がごたを起こし私は電車のホームでもあることですし、頬をつねりあげていました。羨ましい!憎らしいと思えば即座に、私の怒りを邪念でたかめ危害を加えようとするのです。私に対しては、祖母など、私が信頼を置いている人間を使って。それは、身に危険のありそうなものから、言葉によるいやがらせなどさまざまです。とにかく邪念でいやだと思うことをしてやろう。それは何かのシステムのように、べたべたとまとわりついてきます。

ただし、Mの邪念は相当なことができるものの、心から違うと思うことはさせられませんし、9歳の頃、私がMに対して、ぞっとする気持ちを、いくらなんでも、私の方もMが好きでいい思い出などという嘘は真実に変えられないのです。だから、時間をかけて、思念を読んで弱点を探したり、疲れているときなど、心の隙を狙います。

Mの邪念の特徴は、怒り。ヒステリー。もしかしたらMの生まれたときに支配していた感情。凄まじいほどの怒り、恨みの凝固したもの。だから、邪念を持つMが生まれたのか?

先月はMも子供向けのミュージカルに出演していたせいもあるのか、深夜、脳を締め付けてくる回数は少なかったものの(こうして書かれているので、いや、そんなのは嘘っぱちです。私はこんな爽やかなミュージカルにでる良い人間です。ということをアピールしていると思いますが・・・)Mが外国人の奥さんがヒステリーをおこしたり、家から閉め出されているのも多くの人間が知っています。いくら邪念で思い通りにしようとしても、邪念はダイレクトに脳にストレスをためさせ、ヒステリーを起こさせます。普通の人間が怒ることがあっても相手に手をあげるにいたるまでは10歩の距離があるとしても、Mの邪念が入り込み脳にフラストレーションをあたえると、きれやすくなり、2,3歩の距離まで縮まってしまうのです。

そして、Mは責任がとれない人間で、閉め出されているというストレスを、うっかり9歳の時にたまたま、民宿で隣にいて、親切にした、私や私の家族に向けてくるのです。赤の他人で、実際にMを利用して言い思いをしたのは、Mの母親だけなのに・・・あのとき隣にいたのに・・・自分だけがこんなめにあっているのに、お前たちが幸せそうなのは、許せないというわけです。

幸福な人間をめちゃめちゃに・・・お前たちも自分と同じにしてやるというわけです。少し前息子が野球をしていたときも、MとMの母親の思念が伝わってきましたが、Mの母親が(むろんMの母親は元凶でMなんかよりも偏執狂のように執念深く、羨ましいと思う奥さんがいたら、「何よ!自分ばかり!私のためにしてよ!」と怒る人間にしたてあげ(これで、私と同じになったョ・・・)と思念が伝わり、即座に悪を起こしていました。そういう習性なのです。

だから、今、日本でも、感情がきれやすく、残忍な事件も、Mとその母親がいなくなると(なぜなら、邪念は広範囲、集団に及ぶので)残忍な事件は減るかもしれません。

でも、実際は、Mは刑事役などもやったことがあり、警察などにもつてがあり、事件にも役立てたことがあり、何をしても庇われているのです。おそらく宗教、政治家なども「Mの力は必要だ。」と思いこませ・・・M自身が、世に復讐するためにデビュー前に、母親によって洗脳されていることなど知りません。絶対に、良いことはしないのです。邪念で、表面的には良いと見せかけることはあっても・・・

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アイドル邪念ストーカーMとの遭遇!!!

相変わらずMの邪念によるいやがらせは、下半身の辱めなど、性的なことから、精神に及び、仲の良い信頼関係を、いかに壊し、妬み、争い、苦渋にのたうち回るかを執念深く考え実行してきています。ああ・・・・9歳の時、家族で毎夏のように、海水浴を楽しみに行っていた新潟の海の民宿で、偶然(いや、もしかしたら、善良で幸福な人間達を苦しめてやるという、Mの邪念アンテナで・・・不思議なことですが、Mの邪念は、愛情や幸福感というような抽象的な眼に見えないものまで、まるで、その分量が測れるかのごとく見つけ出し、ねとねとと、まとわりつくのです。この上もなくたちの悪い残虐さをもって・・・)

ああ・・・

私や、私の家族が、そうとは知らず、隣の部屋に宿をとった邪念母子に、うっかり親切にしてしまったばかりに・・・とんでもない不幸を招き寄せてしまったのです。その民宿には季節外れの9月ということもあり、泊まっていたのは、私の家族とMの母子だけでした。

この世にあってはならない存在M。はじめて人に対してそう思いました。もっともMの名前自体Mの憎しみの元凶であるMの母親の、ありえないほどの怒りで、この世を呪い、そう名付けられたのでしょう。名前の下にも、誕生日にも、鬼が隠れている・・・・もっとも誰もそうは思わず、アイドルとしてデビューしてからは、むしろ芸能人らしい名前などと、Mの母親は褒められたり等していたでしょう。周到に隠すだけ、陰湿で悪意のあるものです。

当時、私は小学4年生で、一年ほど前にN市に家を新築し家族で越してきました。父親は電電公社に勤め、母は銀行員で、実家は農家でしたが、6歳ほど年の離れた妹が生まれると、勤めをやめました。二人とも6人兄弟で父方は、公務員が多く、母の実家は農業で町と、田園風景と、私の幼少時の原風景は、多くのいとこたちにかこまれ、ささやかな冒険や笑顔に賑やかに彩られ、その時は当たり前だと思っていた思い出が、Mの出現で淫猥なものに変えられようとしている今、かつてないほどの怒りを覚えます。

母が仕事中に預けられていた、農家の祖母は私をしょいかごに背負い連日、田畑に向かいました。田園を渡る、涼やかな風。帰りは、取れた農作物の上に、のせられ、祖母には本当に可愛がってもらい、苦労をかけたと思います。おばあちゃん子でした。実家には母の弟妹たちがおり、戦後、母は自分の父を病気でなくし、弟妹たちの、学用品を、自分の給料のほとんどを使い、まかなってきました。むろん、銀行の仕事だけではなく農家との兼業、長女ですから、母を助け、重労働だったでしょう。それでも、勉強熱心でバイタリティのある母は高校では、生徒会長、バレー部のキャプテンと、明るく朗らかにこなしていったでしょう。部活でお腹がへって、皆でパンを買ってたべたけれど、10円のコッペパンが精一杯。他の娘達のように15円のジャム付きパンは、その5円がどうしても出せなかった。懐かしむように思い出を聞いたことがありましたが、生徒会長で、とても優秀だったと聞いたのは、私が30歳を過ぎてから、それも叔母の口からで、自分からは、そんな自慢をけっしてしませんでした。また、妹である叔母が大阪の芸大に進学したときは、給料から仕送りもしていました。叔母も、村で一台だけしかないピアノで猛練習していたそうです。それでも、仕送りが足りず、アルバイトで忙しかった叔母は単位がどうしても一つ足りず、厳しい講師の授業だったので、卒業はできなかったそうです。母は、今でも、自分がもっと仕送りをしてあげられたらと、悔いていました。(私が、東京のグラフィックの専門学校に通っていたときも、妹が東京の短大に出たときも、内職して仕送りしてくれましたが・・・・苦労続きの母。その時期は、母も父も節約して、収入の大半を東京に送ってくれていました。けれど、自分の苦労は人には見せない。

ピアノ科で、頭が良く、しっかりしていた小股の切れ上がったような話し方をする、センスの良い叔母は何人もの男性から、プロポーズされたそうですが、下宿先の資産家の息子に見初められ、ぜひにと申し込まれ結婚しました。私の叔父になったその男性は、優しい、頭の良い大学出の男性でしたが、私が、小学5年ぐらいから、スタイリストの会社を立ち上げ、2度も社長になり、倒産。叔母の唯一の財産であるピアノまで、差し押さえが入ったそうです。あの気丈な叔母が気が触れたようになり、また、姑との仲も悪化し農家の実家に、従兄弟達を連れて、一時戻ったようです。その時の叔母は、見るも無惨にブクブクと太り(脳に過剰なストレスがかかったのでしょう。それも、普通のストレスじゃない・・・脳にぐりぐりとねぶり混むような!)ちょうど、今現在、Mが私に加えている種類のものです。歯並びも、精神もがたがたになっていました。話すことにろれつがまわらない・・・しかも、電話が盗聴されているなどと、変な事を母に言っていたそうです。まだ、私が学生の時でしたが、私も、どうして、晴美叔母さんはそんなこというんだろう。そんな訳ないじゃないの。TVドラマでもあるまいし。なぜ、そう思いこんでいるんだろうな?けれど、今現在、Mやその母が私の行動や思念をつけまわして、酷い思いをさせようとたくらんでいる・・・その事実を思えば、当時、大阪に住んでいた、晴美叔母・・・Mの邪念母子も、大阪に住んでいたのです。私の幼少時代、母と晴美叔母を訪ねたときは、鮮やかな濃いピンクのツツジと咲き乱れる、白亜の邸宅。幼心にも、私の住んでいる、借家のアパートや父の実家、農家などとまるで違っていました。ほっそりした優雅な雰囲気の晴美叔母。庭園の中、赤ちゃんのベビーカーを押す姿。(その頃、姑も同居で、全く問題がなかったわけではないけれど)

新潟の民宿から、早朝去った、私たち家族を、まるで、図書の読み聞かせ本の中に出てくる山姥のように、おそらく、非常な憎しみと、怒り、妬みで追いかけてきたMの母。(なんだ、親切そうな家族だから、ご苦労なさってと言ったんだから、金ぐらい出してくれてもいいだろう。仲良さそうにして!自分たちだけ幸福なまま帰って!逃がしゃしないよ!めちゃくちゃにしてやる!Mの母は、さっさと私たち家族の居場所をつきとめ、まず、新しい住宅に住んでいる私たちを見て、地団駄踏み。犬を散歩させている、楽しげな様子。さて、どこから・・・そうだ、親戚の方から、そして、同じ大阪に住んでいる母の妹の様子も見に行き、その邸宅の様子に、卒倒するぐらい(羨ましいをとおりこした)憎しみ。汚らしく見苦しい姿にしてやる!

それから、Mの邪念を使ってのアイドルデビュー。目をつけていた、事務所の内部をかきまわし、当時御三家の男性アイドルをその事務所から移籍させ、混乱させて、Mをもぐりこませ、その事務所のメインスターにおさまらせた。その時代は、J事務所の、暗黒時代、不作の美少年時代と呼ばれています。何が原因で、どのアイドルも売れず、必然的に、ヒット曲もないMがどうして、メインスター扱いだったのか。しかも、その時代は、(今は飛ぶトリおとす勢いのJ事務所のスターと言えば、ママさん友達も、必ず誰かしらのファンがいますが)J事務所自体、存続が危ういほどの危機だったといいます。自分さえ楽して良い思いができれば、人はどうなってもかまわない、唖然とするような常識の邪念母子M。Mと同時期にJ事務所から、デビューした少年達の苦悩と苦渋はどれほどのものだったのか・・・・本当に才能も、努力もいとわず、決心して上京した少年達・・・・母親の欲のために、私という存在を利用され、芸能人デビューしたM。

なぜか売れないJ事務所。売れる美少年を見つけ出し、育てることに書けては天才的な手腕をもつと言われる社長。それなのになぜ・・・?私生児や孤児など、かわいそうなことが売りにつながる時代?いや、売りにつながらない。ただ、Mが楽をするために、周囲にそう思いこませていたのです。

J事務所を知ったきっかけは、またにして、私のことを交えながら綴っていくことにします。私のことよりも、J事務所についてなら、興味のある人も多いでしょうけれど、私もMがJ事務所に所属していたのを知ったのは、ずっとあとです。1997年、結婚、出産して、仕事を離れ、TVを見る時間、ゆっくり歌謡番組を見る時間が増え、素敵だなと思った美少年がJ事務所ということを知って、そういえばMもJ事務所だった・・・・それから、心にずっとわだかまっていたMのこと。そのアイドル時代はどうだったのか。なぜ、落ち目になってから、私なんかをつけまわしたんだろう。9歳の時、新潟の民宿で、たまたま、隣の部屋に泊まって、何にも思い出も関係も楽しいことがあった記憶もない・・・なぜ?Mは私を憎んだんだろう。思い出せない。無論、小学生だった私にも、クラスに、ずっと好きな男の子ぐらいいましたし、中学になってから、勇気を出して、バレンタインデーにチョコレートをあげました。Mのことは、海の思い出のなかでも、(楽しみにしていた、海水浴ができず)もっとも希薄でつまらなかったというだけです。

叔母のこと、今では離婚し、小さな借家に何とか住んでいますが、時々、母が心配して半分はボランティアの仕事(72歳ですが、まだ、仕事をしています。)でためたお金などをいとこたちにおいてくるようです。スタイリストの会社の社長をしていた叔父。

義理の叔父は、仕事で使った衣類など、当時、モデルや、タレントが着た衣類など、私に着れそうなものはダンボールで送ってくれました。いとこたちも、もし、Mに私が遭遇しなかったら、邸宅のお嬢様だったのに・・・

また、母のことですが、当時の女性らしく、お茶、お花、洋裁の免状はとったようです。自分はお金がなかったので、教師に大学進学を勧められても果たせなかったものの古いアルバムには、その若き日の母の笑顔の写真があります。引き比べ、Mと遭遇してからの私には、写真を見ると笑顔がありません。

もし・・・運命は自分で決めるもの、切り開くものという信条の私が、人からこんなことをされてしまったという内容を綴らなければならないのは、残念です。けれど、誰より、他人を苦しめ、家庭や果ては、だいじなだいじな子供の精神にまで入り込み、さんざん悪いことをして、陵辱するMが、誰よりも、人から悪い思いをさせられたことで、恨んだりすることの方が不思議です。

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